私は記載物の書式の体裁にものすごくこだわるタチである。
「この癖さえなければ仕事の効率が3割はアップしただろうな」と前の仕事をしながらつくづく思っていたが、こればかりは病気なのでしょうがない。
病気だから治りたいのであるが、どうやら無理であろう。
余程”崩し”を意図しない限り、「です、ます」調と「だ、である」調を混在させることはないので、私の文章はそのせいでかなりおもしろくないものとなってしまっている。
数字の全角半角をあいまいにすることもない。
フォントは大抵MSPゴシックである。
なお、英数字と漢数字を使う上での私なりの基準もあるのだが、ここでは割愛する。
他にも数多くのこだわりがある。
私は半角のカタカナ生理的に絶対に許せないので何があっても使わない。
常用漢字として使われていない漢字は基本的に使わないと決めており、また、ひらがなで置き換えるほうが望ましいと思う表記はひらがなで表記しているので、「~事」や「尚」や「宜しく」や「殆ど」や「有る」などといった表記はひらがなに置き換えている。
接続詞も「従って「及び」「但し」「又」「並びに」などというように漢字では表記しない。
日常生活において、たとえメモであっても略字は絶対に使わないので、「門」は「門」としか書いたことがない。
リポートを書く場合の大項目のつけ方も論文の慣例にならって、仮に、6段階の場合、「Ⅰ→1→[1]→(1)→1)→①」の順で使用することとしている。
引用文でない限り、「 」(カッコ)内の語尾には「。(まる)」は打たない。
また、引用文に「“ ”(クォテーションマーク)」は使わないようにしている。
「…」は「・・・」でなく3点リーダの「…」を使っている。
他にも私の中でのこの種のルールはもっともっと数多くあるのだが、これぐらいでやめておく…。
ちなみに「、」の打つ位置については、調べたところ、日本語においては明確な決まりはないそうで、好きなところに区切りの意味を持たせて打って良いということになっているため、そのようにしている。
文章とは本来、実用的であるべきもので、体裁にはそれほどこだわるべきではないと思うのだが、自分の中の規則を守らずにはいられないこの超A型気質がこのようにことをややこしくさせているのである。
困ったものである…。
ただ、日本語という言葉は柔軟性がありすぎるため、「小学生でも容易に名文が書ける」というようなことが言われるドイツ語と違って、上手に文章を書くのが難しい…とはいつも思う。