GOODDAYS

世の中をかいくぐって逆張りの人生を歩む俺の意見

フェイクとファクトと言論の自由

多くの言論が行き交う世の中だが、一つの事象に対して真逆の意見が行き交っていて、どちらがファクトか判断しかねる事例が多すぎる。

俺は報道機関のようにきちんとファクトチェックを行う必要性がある立場にはないが、後になって明らかに間違っていた内容を述べていたということがわかるような文章を書き残したくないと思っている。

だから、真逆の意見が行き交っている場合にはなるべく自分の意見を断定口調では述べないように気をつけているつもりである。

もちろん、自分が一次情報で真実を知っていてそれを証明できる限りにおいてはその限りではないが、その場合でも相手に損害を与えることで恨みを買うことを覚悟する心構えが必要とされるわけである。

 

しかしながら、言論機関はともかく、報道機関までもがファクトを報じていると言い難いということは後追いすれば簡単にわかる。

それに輪をかけてファクトと認定されたことが果たして真のファクトなのかもわからないからたちが悪い。

 

そして、このような嘆かわしい現実に際して「今の世の中は」だとか「日本では」だとか「フェイクニュースが飛び交う世の中では」と偉そうに述べるつもりもない。

むしろ、自由な意見が飛び交い、言論の自由が保障されていて、名誉棄損で訴える権利があって、司法もしくは第三者委員会などの機関によって真実を明らかにする権利がある今の日本の世の中が悪いとは言いきれないと思っている。

また、Yahoo!トピックスなどに酷すぎる言論が行き交っていても、司法で断罪されない限りその言論の自由が保障されている世の中が、逆説的にではあるが悪い世の中であるとはいえないだろう。

前回取り上げた破産者マップですらも管理者が徹底的に争うつもりであれば可否について争えたのだろうと思う。

 

今の世の中の恐ろしい点について言うならば、インターネットおよびSNSが登場して以来、節操のない言論がすさまじいスピードと伝播力で広まっていくことと、それを先取りしての社会全体の行動の早さに不気味さを感じるということに尽きる。

また、犯罪は裁判が終わるまでは確定しないのにその前段階での社会全体でのリンチがすさまじいのも怖い。

新井浩文氏やピエール瀧氏は裁判が行われる前から実刑以上とすらいえる制裁を社会から与えられてしまっている。

そして、とかくニュースが多い今の世の中においては、司法もしくは第三者委員会などの機関で判定されたことよりも、既に広まってしまった先入観のほうが真実と印象づけられたままになってしまう傾向にある。

 

社会のリンチがすさまじかった割にシロと判定され、その汚名返上の機会が与えられていないものにはすぐに思いつくだけでも以下のようなものがある。

 

  • 日本体操協会の前女子強化本部長の塚原千恵子氏が第三者委員会の判定でシロと判定された件

  • 日本大アメリカンフットボール部の悪質反則問題では、傷害罪で刑事告訴されていた日大の内田正人前監督と井上奨前コーチについて、悪質タックルをするよう指示した事実は認められないと警視庁が判断をして、書類送検はされたものの東京地検立川支部は立件を見送ったようである(なお、宮川泰介選手については、傷害の実行行為を認定し、書類送検されたようである)

  • 伊藤詩織氏と山口敬之氏の裁判の結果は、山口敬之氏が2度に渡って不起訴処分を受けている

 

ファクトと裁定された結果を受けると、何がパワハラなのか、加害者とされたほうが社会からパワハラを受けているのか、何が何だかわからなくなってしまう。

司法もしくは第三者委員会などの機関の裁定を忖度だとか圧力だとかインチキと言い切る人も多いのだが、ではそう言い切る人がそれを覆すだけの証拠を持っていたり、覆すために訴訟を起こすかといえばそういうことはなく、そう叫んでいるだけのことが多い。

また、国権を三権に分けた国家においては、司法が最終的な判断を下すわけだが、それを本気で覆したいのならば革命でも起こすしかないだろう。

それこそ、北朝鮮ベネズエラのような独裁国家や、ムスリム法が最上位にあるイスラム国家や、戦前の日本やナチスドイツのような全体主義国家は、革命もしくは敗戦後に新憲法を制定しないと転覆しないわけである。

「人間には生まれながらの自然権がある。俺は国なんて認めねえ」という気持ちは誰もが一度は抱いたことはあると思うが、それについてはホッブス・ロック・ルソー・カント・ヘーゲルなどに時代に散々議論されて、その結果、アナーキーな国は世界のどこにも存在していないのだからアナーキストになって革命でも起こさない限りはあきらめるしかない。

 

ところで、インターネットの怖さは認めつつも、インターネットがない昔の世の中とインターネット出現後の今の世の中を比べて今の世の中が悪いとは思わない。

たとえ嘘が飛び交っても言論の自由と多様な言論表明の手段が確保されている世の中のほうがマシだと思うからであり、むしろ世の中は良くなったと思っている。

仮に安保闘争時にインターネットが存在していたらあのような支離滅裂かつ不毛な闘争があそこまで盛り上がることはなかっただろうし、現在の日本社会でもガン的な存在と思える左翼思想に染まった人々もあれほどまでに生み出さずに済んだのではないかと思うからである。

 

話を戻すが、俺は報道機関のようにファクトチェックを行う必要がある立場にはないものの、インターネット上に文章を残す時には細心の注意を払いたいと零細ブログながらに思う。

特に俺は、体育会的上下関係や儒教的上下関係を強く嫌うがゆえに、その辺に関してつい熱くなってしまうことがあるのだがそうならないよう注意したいと思う。