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世の中をかいくぐって逆張りの人生を歩む俺の意見

ゴーン氏事件は日仏のいびつな資本主義が起こした事件でもある

真のエンターテインメントは現実の世界にあると思っているのだが、日産とゴーン氏の事件は森友文書書き換え事件以来にあれやこれやと議論を呼ぶ、野次馬には興味を引くニュースだ。

果てはトランプ政権陰謀説まで飛び交うぐらいだから、野次馬がいかにこのニュースを楽しんでいるかがわかる。

 

法治国家において事件は立件できるかどうかで判断するわけだが、これは専門的な知識を有する者以外には分析し辛い。

そもそも、ゴーン氏とケリー氏はギリギリ合法と思うスキームを周到に模索して実行していたのだろうと思うのだが、その割には大胆だったようにも見え、かつ、日産の他の経営陣や監査のガバナンスはどうなっているのかだとか、どうしてここまで助長させたのだろうなどとも思うのだが、捜査後の立件率が99.9%に迫る東京地検とゴーン氏陣営がどう争うのか野次馬的な興味を引く。

もちろん、圧倒的に検察側が有利な戦なので、朝日新聞社財務省がガチンコで差し違えた戦ほどのスリルはない。

 

ゴーン氏らの暴走の動機と西川氏らが告発へと動いた核心的な動機に関しては、当人らがつまびらかに話すわけはないのだから推測でしか判断できない。

ゴーン氏の動機は自らの報酬が妥当でないと考えることによる不満から発生したものであろう。

西川氏らの動機には、何としてもルノーとの合併を避けたい、43.4%の株を持たれていても経営の独立性を担保したい、間違ってもフランス政府に経営に口を出されたくない、ゴーン氏の独裁と会社私物化が目に余るが責任は全経営陣に及ぶわなと思っていたところに司法取引の制度が整備されたなどなど、持ち株比率の力に頼らずとも司法の力でゴーン氏を追い出す絶好の条件が整ったといったことが挙げられるのであろう。

もちろん、ゴーン氏を追い落としたにしても自分らへの経営責任への追求をかわせるかだとか、ルノーとのアライアンスを対等なものに近づけられるかというのはその後の話となる。

 

この事件を通じて俺が思うことは、グローバル資本主義の世界においてローカル資本主義の歪みが起こした事件だわなということである。

以下に思うことを羅列していくが、そのなかでこの主題に結びつけていきたい。

 

1999年、倒産寸前に陥った日産はルノーから6,430億円の出資を受けて倒産を免れたが、その際に36.8%の日産の株式をルノーが取得した。

ソフトバンクがやがて巨人となる米Yahooやアリババの株を黎明期に大量に持って大儲けしたのと同じで、ルノーがリスクを取ったということである。

同様にゴーン氏傘下の日産は2016年に経営危機に陥った三菱自動車に出資している。

経営危機下の日産を立て直すために何をやれば良いかをわかっていたのに日本人経営者にはできなかったところ、ゴーン氏が颯爽と日産に乗り込んでリストラとコストカットを断行して短期間に業績を立て直したが、この功績の大きさゆえにゴーン氏は絶対的な力を手に入れることにもなった。

日本企業が外国資本に買収されたり、外国人が経営に入ってV字回復した例はシャープや日本マクドナルドなどにも見られるわけで、上が優秀で剛腕を振るう欧米人と下が優秀で従順な日本人の相性が良いのだろうと粗い推測が成り立つ。

もちろん、ソニーのように外国人経営者が経営して必ずしも上手くいかなかった事例もある。

というわけで、日産プロパーの経営陣で今後、この激動の業界を生き抜いていけるのだろうかと思う人も多いのではないかと思う。

 

ところで、日産の株価が低位で推移してきたこともあるが、日産の配当は日本株にしてはあまりにも高いので、俺はこれまで何度も日産株を買おうという衝動にかられたことがある。

仮に日産がルノー支配から脱したとして、その後もこの配当を維持するとは思わないが、今は配当の43.4%をルノーが持っていくから日産の配当は高い。

とはいえ、俺は車を保有する気がないし、そもそも偉そうに道路の大半を占拠して排気ガスをまき散らす車の存在が好きではないし(これは冗談だけど、俺のシムシティの街は線路だけで道路がない)、自動車産業は製薬や商社と同じく一寸先が読めない業界なので、個人の資産運用を目的とするうえでこういった業界の株式は持ちたくない。

ちなみに総合商社は軒並み最高益を叩き出しているが、三井物産も高配当である。

 

資本主義には数多くの欠点があるが、それを補うべく、労働法や労働運動が生み出され、マルクス経済学が生まれ、ケインズ経済学が生まれ、福祉国家環境保護といった概念が生まれ、各国の経済政策や金融政策も高度に発展してきた。

また、保護貿易が戦争の大きな要因になってきたことから、平和を維持するためには集団安保体制と両輪で自由貿易が不可欠だと国際常識として共有されて今日の世界に至っている。

とはいえ、各国に経済政策や金融政策や規制があり、昨今ではアメリカまでもが保護貿易を振りかざすようになっているが、それでも冷戦終結後に誕生したグローバル資本主義はもはや止めることができないものとなっている。

 

グローバル資本主義の世界では、経営者の報酬に社会的なキャップを設けていては優秀な経営者は集められない。

天才や優秀なビジネスマンに払う報酬を惜しんでいてはイノベーションは生まれない。

莫大な報酬を払って優秀な経営者や天才をかき集める企業が圧倒的に勝ちやすいゲームである。

確かに彼らの報酬は異常に高すぎるが、これがグローバル資本主義というものだし、圧倒的な富は経営者らの高報酬よりも株式の保有によってより多く生み出されるものであり、ここに資本主義=Capitalismの真髄がある。

 

そもそも、日本において経営者が受け取る報酬に社会規範的なキャップがなく、ゴーン氏自身が正当と考える報酬を受け取ることができていればゴーン氏はこんなセコい真似をしなかったであろうと思う。

とはいえ、ゴーン氏もそんなにお金が欲しいのであれば、アメリカの企業の経営者に転職するべきだったと思うのだが、スカウトの有無はともあれ、20年近く経っても日産・ルノーに君臨し続け、果ては天狗になってしまった。

 

世界を旅していると、日本人はお人好しで、おとなしくて、自己主張が苦手で、安全・安心が確保された社会に住んでいるがゆえに、「日本人はどの国でも好かれているとはいえ、一番なめられている」と露骨にわかるのだが、ゴーン氏は従順な日本人を相手に経営をするのが心地良かったのだろうと想像する。

また、ルノーではなく日産だけを食い物にしたのもそういった理由なのだろうと勝手に想像する。

なお、外国人経営者には国際標準に近づけて可能な限り高い報酬を払い、日本人経営者には安い報酬で我慢してもらうわけだから、日本人自身が日本人経営者をなめていると思わなくもないのだけれど、サラリーマン上がりのどうしようもない経営者が過去に巨大企業に何人もいたのを思い返すと、もしかしたら妥当なのかもしれないなとも思う。

もちろん、経営陣や天才社員の報酬がバカ高いアメリカのような国がいいとは思わないが、グローバル資本主義の世界において日本のやり方ではやがてジリ貧に陥る。

 

他にも日本には、株式の持ち合いだとか、取締役と経営の分離ができていない点などで資本主義をローカルに捻じ曲げているようなところが多々あるが、フランスはもっと酷い。

国が社会インフラでも何でもない自動車会社の株を大量に持つのも異常なら、当時経済相だったマクロン氏の意向で、株式を2年以上持つ株主に2倍の議決権を与えるフロランジュ法という無理筋な法律を作ったのも異常で、さらにそれを用いてフランス政府による日産支配を目論むのも異常である。

ここまで無茶苦茶なことをされ、かつ、フランス政府に対するゴーン氏の抵抗姿勢が弱まっていけば日産プロパーの経営陣が自社の独立性を確保するためにどうにかしなければと焦るのは当然だし、それはルノー以外の日産の株主の利益にも沿う。

 

もちろん、ソフトバンクがアリババ株を大量保有しているように、ルノーが日産株を大量保有しているのは事実で、資本主義の原則に則ってルノーが主導権を握るのは当然である。

しかし、フロランジュ法のような飛び道具はあまりにもいただけない。

とはいえ、昨日のテレビ会議ルノー・日産・三菱のアライアンスはトップの合議制で行うとして提携の維持を打ち出したようだが、その前提が崩れ、仮にフランス政府とルノーが日産の独立性を排して直接支配の色を強めてくるようであれば、日産が議決権解消のためにルノー株を買い増したり、プロキシ―ファイトを展開したりすることも考えられる。

もしかしたら、村上ファンドライブドアが世間の視線を釘づけにした時のような極上のガチンコを野次馬として眺めることができるかもしれないわけである。

ゴーン氏逮捕直後にルノー株は日産株よりずっと下がったが、「買収プレミアムを考えるともしかして中期的にはルノー買い?」と妄想しながら俺は11月19日のルノー株のリアルタイムチャートを眺めていた。

 

グローバル資本主義はあまりに貪欲過ぎるし、格差を拡げる性質を持つので、最大多数の幸福のためには好ましくない面もたくさんあるが、世界企業がグローバル資本主義の競争のさなかにあるというのは曲げようのない事実である。

我々は「道徳主義」ではなく「資本主義」の世界に生きているのである。

ゴーン氏の傲慢かつセコい行動がきっかけになったという面はあれど、今回の事件は日本とフランスの資本主義がいびつであるがゆえに起きた事件でもあったのではなかろうかと俺は思う。

 

なお、この事件におけるフランス側の揺さぶり材料として、日本の司法制度の前近代性について欧米メディアに指摘され、「途上国か?中国か?」と言われて何とも恥ずかしいような気持ちにもなれば、フランスこそ身分差別や汚職と腐敗まみれじゃないのかなどと思ったりもする。

もちろん、俺は死刑に賛成する立場だし、北欧のように受刑者にクソ温かい社会には好感を持てないが、アメリカが容疑者の身柄引き渡し等における日米地位協定の見直しに及び腰なのは日本側の容疑者の扱いに問題があるとされている面もあるようで、国際的な批判の副産物として容疑者の人権が適切に扱われる方向に是正されればいいなとも思う。

 

以下、余談。

7月に日光で失踪したてんかんの持病を持つフランス人のベロンさんを、警察や消防があれほどまでに必死に捜索してもしても見つからないままになっているのは本当に残念だが、ベロンさんのご家族が「日本の警察の捜査が不十分」とする手紙をマクロン大統領宛に送り、10月の日仏首脳会談に妹さんが潜り込んで安倍首相に直訴し、11月に地元のポワティエで「フランスの警察を日本に送り込んで捜索せよ」と行進したという出来事があった。

もちろん、これは一例に過ぎないのだけれども、ゴーン氏の飛行機に東京地検特捜部が乗り込んできても降りるのに2時間以上かかったという報や、日産プロパー経営陣の謀略説を根強く振りかざすフランスの新聞の態度や、この期に及んであれこれ経営に口を出すフランス政府の態度を見ながら、「フランス人の押しはすごいな」と思いながらベロンさんの件をも思い出した。

 

あと、レバノン駐日大使が「ゴーン氏は全てにおいて無実」と語ったのには、同じ中東諸国のサウジアラビアと同じように色眼鏡で見るわけではないが、かなり失笑した。