GOODDAYS

世の中をかいくぐって逆張りの人生を歩む俺の意見

反応する前に少し考える

情報過多なため、情報をきちんと咀嚼できないのは仕方ないし、ニュースなどに対して脊髄反射的な感想を抱いてしまいやすいのも仕方ないかもしれないが、さらにSNSの存在がそれを助長するので、きちんと考える前に繰り出されている意見が飛び交いまくったり、時には良くわからないような炎上が起きたりする恐ろしい世の中である。

 

俺が子供の頃にはハロウィンは一切祝われていなかったのでいまだに馴染めないのだが、自然発生的に渋谷でハロウィンの仮装を楽しむ人が出てきたのだという。

そして、世の中には成人式やワールドカップでの日本代表勝利や阪神優勝の際にバカ騒ぎをしたい人が一定数いて、さらにその中に、周囲の人や世の中やマスコミの注目を集めるためだとか、日頃のうさを晴らすために法に反する行為に及んでしまう人がいるが、先日のハロウィン騒ぎのなかでもそのような事例が出てしまったようである。

これに対して当局である自治体や警察ができる対策は、騒ぎを抑止する策を練って講じることと、違法行為を行った者がいればすみやかに逮捕することの2点である。

「いい絵が撮れるまで帰れない」とばかりに、必死になって喧騒を探しに行ったマスコミが嬉々として繰り出す絵を見て即座に怒りだしてしまうなら、暴走族やガラの悪い界隈で深夜に悪事を働く人々に対しても逐一怒らねばならないだろうにと思うし、郊外の産業道路の道端にゴミを捨てまくる人々にも逐一怒らねばならないだろうにとも思う。

 

昨日、大戸屋一部店舗でストローを撤去するというニュースが出ていたが、これは本質的にはマイクロプラスチックの海洋流出を防ぐということが大きな目的であり、その目的全体から見ればストローを排除しても、言葉は悪いが鼻くそレベルの効果しか見込めないだろう。

ストローを機に各自がマイクロプラスチックの海洋流出について考えて動いてからこそ意味を為すわけである。

ところで、すかいらーくグループやデニーズも前に同じような発表をしているのに、重ねるかたちで同じことを発表するのには、環境に配慮しているという企業姿勢を打ち出す目的と、このことをPRすればマスコミに取り上げてもらえて広報効果を見込めるという目的もあるわけで、本筋よりも、むしろこちらにねらいがあるのだろうと推測する。

額面通りに「ストロー撤去=環境にやさしい」と消化して終わらせる前に受け手側が考えるべきことはたくさんあるのだろうと思う。

 

解放されてシリアから帰国した安田純平氏に対して、自己責任だという意見が出るのも、紛争地帯の取材が必要なのは事実でありながらも不用意な面があったのではないかという意見が出るのも、かなりの国費の支出や外交官の尽力があったのではないかと納税者としての議論がなされるのも仕方ないと思う。

しかし、安田氏が法に反しているかも確かではなく、直接的に自分に関係ないのに、異様なまでに叩く人がいるのには違和感がある。

重要な論点があるとするならば、安田氏が法に反したかということと、ああいった場合に国がどこまで手をつくすかという公的機関の手続きに関してであろう。

古代中国の諸子百家の思想のなかで現代に生き残っているのは儒家の思想ではなく、法家の思想である。

法治国家では司法手続きによってのみ裁かれるものであり、外野からの特に匿名での誹謗中傷はあくまで野次馬に過ぎず、裁けもしなければ解決も生まない。

とはいえ、安田氏は有名人なので有名税という割を食ったし、せっかく生還したのに大量の匿名バッシングを受けて大変に気の毒だが、災い転じるというか、これで食うに困ることはなくなるのではないだろうかとも思う。

 

前に、プロ野球・横浜DeNAベイスターズの井納翔一投手のご夫人の容姿を中傷する書き込みをネット上に行った人を相手取って、井納投手側が通信会社に情報開示を請求し、書き込みをした本人を特定し、名誉毀損と情報開示にかかった費用として191万円の支払いを求めて訴えを起こしたと各マスコミで報じられたが、訴えられた20代の女性は途方に暮れているという報道も別途出ていて、これなどはなかなか痛快な事例だと思った。

また、弁護士会が出した朝鮮学校への補助金交付をめぐる声明に対し、あるブログが弁護士資格の剥奪などを求める懲戒請求を行うことを読者に呼びかけ、約1,000人がこれに応じたようだが、逆にこの1,000人が弁護士側から訴えられて裁判が各地で行われていると少し前に各マスコミで報道された。

訴えられた側には和解金の支払いに応じた人もいるようであるが、これも逆に訴えられた側が大慌てになっているという後追い報道も出ている。

 

先に述べた通り、法治国家においては法に照らし合わせてどうかということが重要な論点であり、脊髄反射的に反応する前にまずはその論点で考えないと独善的になりやすいだろうと思う。

一応は法学部卒ということもあり、昔に用もなく裁判の傍聴に何度か行った際に、とにもかくにも法治国家というのはどこまでも法が基本となるのだなと強く思わされたことを思い出す。

 

ところで、マスコミが脊髄反射的な人間を作る側になってしまうだけならともかく、マスコミ自身の取り上げ方にそれを煽る意図を感じてしまうこともなくはない。

俺は過激なまでにリベラルな思想を持っているのでガチガチの保守派の肩を持つ気は全くないが、杉田水脈衆議院議員LGBTの「生産性」記述に関しては不用意とはいえ真意と違う取り上げられ方をした面もあったのではないかと思うし、小川榮太郎氏の不用意な記述に関しても同様な面があったのではなかろうかと思うし、足立康史衆議院議員の「朝日新聞、死ね」発言の取り上げ方に至ってはまさしくそうだったように思うのだが、そのような事例を上げ始めたらキリがないかもしれないと思う。

 

脊髄反射的に反応したり、クレームを怖れて次々とタブーを作ったりすることよりも、物事を複数の視点から見て議論を尽くすことが大切だと思うが、交わって議論することなくお互いに罵る事例が世の中ではあまりに多いですわな。

日本では、途中で立場を交代して行うディベートの教育と、感情と議論とを分離する習慣を培う教育と、自分と違う意見を尊重する教育が必要だったのではないか、いや、必要なのではないかと思う。