人間は目標に達する前にその先の心配しがちである。
100歳まで生きられる人なんて現在では16人に1人しかおらず、将来もそこまで増えると政府が推計しているわけでもないのに、人生100年の計を考えるよう促されはじめ、実際に多くの人が考え始めているようである。
移民や外国人労働者の受け入れについて論じられるとき、「外国人労働者の受け入れは最小限に留めたい」という意見と、「今の日本は外国人労働者にとって旨みがないのでこのままでは外国人労働者に選んでもらえなくなる」という2つの意見がある。
個人的にはこの問題の解決法は簡単だと思う。
確かに、いずれは外国人労働者に選り好みされるようになるかもしれないが、現在は明らかに働きたいという外国人労働者のほうが多い。
このような状況では外国人労働者の流入規制のほうに力を入れれば良いはずであり、無理して外国人労働者に選ばれる国になる必要はないと思う。
ただし、特に優秀なエリート外国人に住んでもらえる国になるという努力をしたほうが良いというのは言うまでもないし、来日前のブローカーによる搾取を許さない体制も整える必要があるし、現在日本にいる外国人労働者が過ごしやすい環境を作ることも大切である。
そして、外国人労働者に選ばれなくなってきたら条件を緩和するなり、選ばれる国になるよう努力していくしかないだろうと思う。
金融緩和策についても同様で、アルバイトの平均時給が1,000円を超えていく前に、または、デフレ脱却をしないうちに引き締めの話をするのは早い。
アメリカや世界の景気拡大がいつまで続くかわからず、それまでにはある程度の結果を出す必要があるので、今はまだアクセルを入れっぱなしにする時期である。
なお、世界最大の対外債権を持ち、自国通貨で国債を発行していて、デフレが20年以上続く日本でハイパーインフレを心配したり、国家財政の破綻の心配をするのも杞憂といえるだろう。
今述べたのは、目標に達する前にブレーキを踏む事例についてだが、当然ながら、世の中においては行き過ぎが問題視されることのほうが多い。
スポーツにおける行き過ぎた指導、有名人や芸能人への行き過ぎたバッシング、官僚による政権への行き過ぎた忖度、ふるさと納税の行き過ぎた返礼品、などなど行き過ぎの事例はいくらでも思い浮かぶ。
とはいえ、市議会議員が壇上で飴玉を舐めていた事件が起きて、市議会では、議会を舐めている、いくらなんでも行き過ぎだという話になったかと思えば、海外では、飴玉ごときで退席とは行き過ぎだ、なんて融通が利かない社会なんだと批判が殺到したようで、お菓子を作る際の材料の分量ではないけど、何事もさじ加減は大変よのうとつくづく思う。
【追記】
井上尚弥選手VSファンカルロス・パヤノ選手の試合ヤバかったっすね。
3発しかパンチを出してないのに失神KO勝利でしたが、ジャブの探り合いの中から出した相手の右手の内側をえぐる軌道で出したジャブもとい左ストレートの速さにも驚けば、フィニッシュの右ストレートのタイミングと角度と破壊力にも唖然としましたね。
最初の左ストレートの衝撃でパヤノ選手の左のガードが完全に下がってがら空きになったところに右ストレートをぶち込んだわけで、もう、左も右も戦慄過ぎです。
井上選手は相手を見切ったらエンジンを入れると思って見てましたが、最初の一撃で仕留めるとは、サウスポー相手にもろにストレートが入ると特にダメージが大きいとはいえ、史上最高のKOでしたね。