GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

つれづれ・ストロー・天災

元々、本ブログは「GOODDAYS」サイトの「日々の随想-モラトリアム・デイトレーダーの日常」というワンコーナーに過ぎず、日々思ったことをつれづれ思ったことを書くためのブログだったのだが、だんだんとテーマのあることについて書こうと思うようになり、その結果、結論に向かって書く記述が増えた。

今でも次から次へと話題を変える癖は治っていないが、つれづれ思うがままに任せて、着地点を定めずに「しりとり的」に脈絡のないことをどんどん書いていくのは楽しいので、これからはもう少し増やしちゃおうかなと思うが、こういったゴミ記述は「次々と話題の飛ぶ話」カテゴリーにぶち込むことにしている。

 

ちなみに「GOODDAYS」サイトの旅行記やキックボクシング入門などのコンテンツは、ワンコーナーであったはずの本ブログに逆統合し、月額100円のサーバー維持コストがかかっていた「GOODDAYS」サイトは閉鎖して本日に至っている。

その移転の際に「ナンパなノウハウ集」だとか「知ってしまった社会の裏事情」のような若気の至りかつ際どい記述の移転はせずに葬った。

評判は悪くなかったけど…。

 

話は変わる。

タピオカやシェークやストロベリーダイキリにストローは必須だと思うが、多くの場合にはストローを使う必要性を感じないので、ストローを廃止することには反対しない。

しかし、それよりも、「海にゴミを捨てるな、そもそも、ゴミをポイ捨てするな」と啓蒙するほうが効果が余程高いだろうと思うのだが、そういった世界的議論は全く聞かない。

他の国と比べれば日本はずいぶんとマシだと思うが、頻繁に家の向かいの築地市場から発泡スチロールケースが風に飛ばされて隅田川に落ちていく様子を対岸から見ると無力感を感じる。

今できることは豊洲に移転してこのようなことがなくなることを願うのみである。

 

このように築地市場から発泡スチロールが頻繁に隅田川に落ちる

 

これなんて酷くないですか?憤りを禁じ得ません

 

とはいえ、オウム真理教事件以降、日本からゴミ箱が消え去っても、さほどポイ捨てが増えなかったのは立派なことだと思う。

他の国、特に発展途上国の惨状を見ると強くそう思う。

 

標高5,000メートル近い、チベット・ヤムドゥク湖展望台付近のゴミ

 

雪山を望む美しい自然があり、かつ、チベット仏教の三大聖湖であってもこれでは…

 

とはいえ、それにしてもゴミ箱少なすぎ、そして、その役割を事業系ゴミとしてでしか出せないコンビニに背負わせるのはどうかということについては過去に何度か書いているが、今の暑い東京にゴミ箱を置いていたら街は臭くて臭くてどうしようもなかったろうと思うと、不便ななかにも功ありとも思う。

前にも述べたが、ストックホルムの街は街中にゴミ箱があったけど、冷涼な気候ながらも夏場に訪問したこともあって、臭うところが多かったのだが、ストックホルムは800年間の間、天災にも侵略にも遭うことがなかったと誇る稀有なまでに幸運な街である。

もし、スウェーデンで天災があるとすれば寒波かなと思っていたが、今、スウェーデン中で山火事が起こっているというから今夏の異常気象は恐ろしい。

 

余談だが、意外なことにマレーシアは台風も地震もなく、世界でも特異的に天災が少ない国だと聞くが、ここ数年、何故かマレーシアの航空機が不運に巻き込まれた事例が続いたわけで、運命というのはどうにもならんなと思う。

正男氏が殺されたのもマレーシアの空港だったしね…。

 

人間はいつ病気になるかもわからんし、運命に逆らえないので、運命や他人のことは放っておいて、自分の楽しみだけを徹底追求するのが最適な人生戦略なのに、人をやっかんだり、人の態度やインスタが気に食わないと吠えたり、不謹慎だと叩いたり、書き込みの揚げ足をとったりすることにエネルギーを注ぐネット上での怨嗟の声の大きいことよ。

ネットがつながって世の中を知っちゃったことで幸福度が1位から97位まで劇的に落ちたブータンを見てもわかる通り、幸福とは相対的な面が大きいので仕方ないのかもしれないのだけど、ネットを見るとむき出しの人間の醜さがわかって怖いやら興味深いやらという気持ちになる。

しかも毎日。

 

ここまで暑いと野菜の値段も上がるし、こんなに暑いのに野菜の収穫は大変だろうし、関東は早くも水不足だし、外の野鳥もかわいそうだしで、困ったね。

外の雀を家に入れてあげたいよ。

野菜に関しては、「野菜を採る作業が大変だったべ」チャージだとか、「暑い中運ぶの大変だったがな」チャージが乗ってても文句は言えんわな。