GOODDAYS

世の中をかいくぐって逆張りの人生を歩む俺の意見

敬語って本当に邪魔

日本語以外の言葉を話せないのに言うのも難だが、儒教的なものがとにかく嫌いな俺は敬語の存在が嫌だ。

 

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本当は全ての人との会話をお互いにタメ口でしたいのに、無礼だと思われたり、不快感を持たれるのが不本意なので、実際には真逆の対応をとることとなってしまい、残念ながら無難な敬語を多用してしまっている。

そう思っていながら、年齢が上というだけで横柄なタメ口で話しかけてくる人にムッとすることもあるのだが、それをフランクと思わずに横柄と思ってしまう自分の狭量さにも腹が立つ。

また、プロ野球選手がインタビューで語尾にいちいち「~ね」という音を入れて話すのに対して「なんだかなあ~」と思うから、我ながら完全に矛盾しているわけである。

しかし、初めから敬語がなければこのような狭量な感情も湧かずに済むのである。

敬語は本当に邪魔である。

 

大学受験浪人した友人以外では俺には年上の友人はほとんどいないのだが、年下の友人は多く、彼らと友人として完全に対等につき合いつつも彼らに敬語を使わせていることに申し訳なさを感じている。

年上の人に敬語を使うのであれば、年下の人にも整合性を取って敬語を使う必要性があるのにも関わらず、あまりに他人行儀になるのも難なので、丁寧なタメ口で対応するようにしている。

 

俺は人の名前をあだ名では呼んでも基本的に呼び捨てで呼ぶことはないのだが、年下の友人の名前を呼ぶ場合には、他人行儀になるのを避けるためにファーストネームに「さん」をつけて呼ぶことが多い。

年下の友人が俺を呼ぶときは苗字に「さん」づけで呼ぶのだが…。

なお、「君」づけで呼ぶのは同い年の人に対しては「さん」づけ以上にへりくだることになるし、年下に対してはマウントを取ることにつながるので俺は大人を「君」づけでは一切呼ばない。

「君」づけで呼ぶのは甥っ子か友人の息子ぐらいかもしれない。

また、俺が「おまえ」という二人称を使う相手は2歳下のだけである。

 

同い年の友人に関しては、社会人になる前と社会人になってから知り合う人とで関係性は変わると思うが、社会人になって仲良くなった同い年の人とはほぼ全員、苗字か名前に「ちゃん」づけで呼び合っている。

年下の友人に「ちゃん」づけで呼ぶのはマウントをとることにつながるので年下の友人はやはり「ちゃん」よりは「さん」づけで呼ぶ。

社会人になる前に仲良くなった小学校から大学までの友人とは呼び捨てで呼び合うことが多かったが、俺は「さん」づけで呼ぶように変えることが多くなった。

もちろん向こうは呼び捨てでこちらを呼ぶが、それは当然気にならない。

大人になっての友人とケンカをしてしまったら、一生引きずるかもしれないので、どんなに仲良くても相手を尊重して節度を保ち、間違っても相手を見下した発言をしてしまうのを防ぐため、または、相手の奥さんの前でも「さん」づけのほうが通りが良いためにそのように呼ぶようにした。

とはいっても芸人が相方のことを「さん」づけで呼ぶのと同じで、ちょっと小馬鹿にしたようなノリではあるのだけど…。

なお、「君」づけではそういったニュアンスは効かせ辛い。

もちろん、異性を「君」づけで呼ぶのは、「君」より「クン」といった語感になり、男→女、または、女→男を問わずセクハラにつながりかねない。

 

最近は小学校でも、呼び捨てとあだ名禁止で「さん」づけで呼び合わせているところもあるらしいが、味気ない気がするので批判は多かろうと思うものの、先に述べた通り、「さん」づけで呼ぶと相手のことを軽んじにくくなるから、いじめを防いだり、管理をするための知恵としてはかなりいい知恵だと思う。

 

ここまで細かく述べておいて言うのも難だが、とかく思うのは、タメ口かどうかで上下をつけるのも嫌だし、どういった話し方をするか、何と呼ぶかを考えるのは実に面倒であり、いっそのこと全員呼び捨てで呼び合うようにすれば本当に楽だと思うわけである。

敬語があるから上司や顧客に必要以上にへりくだることになるわけだし、見知らぬ人と仲良くもなりにくいわけでもあり、これは実に不幸なことなのである。

 

政治家を見ていても、国内の政治家に対してはそんなことはしないのに、欧米の政治家に対しては急に向こうのルールに合わせてハグもすれば、ファーストネームで呼び合うことも多いわけで、実際、そのようにしたほうが親密になりやすいだろうと思う。

もちろん、外交は儀礼的に行う面が大きいのだが、通常の場でそのようにすれば間違いなくそうだし、キリスト教圏でもイスラム教圏でも、まずはスキンシップを含めて互いの親密さを確認し合うコミュニケーションの取り方をする文化圏は多いのである。

日本人旅行者だって海外に行けば郷に従って、国内にいるよりもずっとフレンドリーに豹変するのである。

日本人もみんなタメ口で話してファーストネームの呼び捨てで呼び合えば面倒くさくないし、皆がすぐに仲良くなれるのにと思うのだが、儒教文化や敬語のせいで随分と損をしているなあと強く思わされる。

 

もちろん、一人称や二人称に多様性があったり、敬語が複雑だったりすることも含めて、表現力という点においては日本語よりも優れた言葉はこの世にないだろうなと勝手に想像するのだが、言葉の表現力だとか奥行きなんてものは毀損してもいいから、それよりも俺は面倒くさい思いをしたくない。

 

あと、やたらと年齢を気にする文化も嫌で、何で名前の横に年齢を書く必要があるのだ、あれは一種のハラスメントだろうとすら思う。

でも、先日、子供の頃の友人と同姓同名の人が犯罪で捕まって報道され、年齢が違ってたので「あいつじゃないな」とわかったのだが、そういうフィルタリングには役に立つなあと思った。

彼はFacebookでそれをネタにしてたから、どちらにしてもわかったのだけど…。

 

このとおり、敬語というのは邪魔なのだが、日本に住んでいる以上、本当に残念ではあるものの、これらの面倒を受け入れるしかないのである。

 

ここからは余談。

冒頭に「日本語以外の言葉を話せない」と書いたが、日本人は全員英語を勉強しているわけで、俺もバックパッカーをやっていた大学生の頃は拙いコミュニケーションをとってきたのだが、TOEIC980点で英語を使って仕事をしているうちのご主人と海外旅行をするようになって、英語でのコミュニケーションをほとんどとらなくなり、また、海外に長期滞在する予定もないので英語を身につけるモチベーションも湧かないまま、英語力はダメになる一方である。

 

大学生の時にシンガポールに飛んだ際、深夜に着いて、チャンギ空港で朝になるのを待ってたら、深夜に空港で遊んでいた高校生のグループが声をかけてきて、その後、そのうちの女子高生3人と3日間、変なこと無しで一緒に過ごし、1人とは帰国後も文通をしていたのだが、俺もダメダメになったものである。

 


俺の隣の女の子とは長らく文通も続けていたのだが…

 

シンガポールつながりで、もう一つ余談。

以下は、2005年10月27日に書いた文章の引用だが、こういった人と人との関係性も敬語のない世界ならではのフランクさゆえなんじゃないかなと思う。

違うかもしれんが…。

 

私がバックパッカー旅行をしていた時、シンガポールの安宿で、シャワーを浴びようと思ってシャワー室のドアを開けた際に、鍵をかけずにシャワーを浴びている金髪の女性がいたのだが、いることに気づかずにドアを開けてしまったうえ、裸までも見てしまったので急いで締めて「Sorry!」と言ったら、明るい口調で「You are welcome!」という言葉が返ってきた。

こんなシチュエーションになって笑顔で「どういたしまして!」ととっさに返せる日本女性は皆無であろう。

まあ、鍵をかけない日本女性も皆無であろう。

むしろ、カッコ良く思えたぐらいである。

 

食べ物も持っていないのに至近距離まで歩いて近づいてきた雀ちゃん