GOODDAYS

  世の中の歪みをかいくぐってひたすら逆張りの人生を歩む俺の意見

政治は結果と仕組み

 

信賞必罰と結果主義とダブルチェックの原則

信賞必罰は組織にとって必要だし、公的機関においては余計にそうである。

古来より日本ではそこが大変に甘く、情緒的であることが多い。

オリンパス東芝の不祥事の事例などでも他国に比べて経営者への責任追及が甘く、なあなあで終わらせてしまうことがある。

 

名著「失敗の本質」に述べられているが、太平洋戦争において、アメリカ軍では結果主義で指揮官の責任を追及したのに対し、日本軍は動機・プロセス主義で責任を追及した。

そのため、ミッドウェー海戦での南雲忠一中将やインパール作戦での牟田口廉也軍司令官といった壊滅的なミスを犯した指揮官は罰せられることがなかったどころか、太平洋戦争における最大のミスを犯したと俺が思っている南雲中将に至っては仇討ちとして次の作戦への参加が許された。

動機が間違ってないと判断されれば、壊滅的な結果を招いても許されたわけで、これでは山口多聞少将をはじめとする多くの犠牲者は死んでも死にきれない。

 

確かに、政治家や公的機関が法令に則って機能することは求められるが、今の野党に政治を任せるリスクを想像すると、経済政策や外交で結果を出し、金融緩和政策・働き方改革同一労働同一賃金・産業界へのベースアップの依頼といった左派・リベラル派の政策を思いっきり取り込んで結果を出しているという意味において、現政権を支持する割合は思いのほか減っていないように思う。

しかし、朝日新聞を中心とするマスコミと野党が仕掛け、最近の国会で論戦されていることは、動機・プロセスの徹底追及である。

政権から引きずり下ろすために、官僚の作為を強引に政権の不作為に持っていきたいのはわかるのだけど、国会ではなく司法に任せろよと思うことばかりだし、野党は醜い離合集散ばかりせずに政権を担えるだけの体制を構築してからやってくれよと思うし、政治家に清廉潔白さは求められるとはいえ、そこまで何から何まで清廉潔白でいられる人間ってどの程度いるのかと思わずにもいられないし、明らかな腐敗と断定できる作為でもない限りは政治は結果が大切だろうと思う人は多いのではなかろうかと想像する。

なお、インパール作戦は、牟田口廉也司令官と河辺正三ビルマ方面軍長と東条英機首相のお友達が起こした大問題と言えなくもないが、現在の日本の状況とこれを比べるのは不謹慎である。

 

漫画村のサイトが思ったよりも早く閉鎖されたのは良かったが、海賊版サイトの被害によってマンガの売り上げが激減したというニュースから読み取れることは、所詮、人間というものはそういうものがあれば群がる意志の弱い存在だということである。

前回も法律違反をしたことのない人間は少ないのではないかと述べたが、自営業者が領収書を切る際に一品目でも生活用品が入っていないと言い切れるか、定年退職者が再就職をする気もないのに失業保険をもらった事例は一件もないのかなどなど、全国民に対してどこまでも追求し続ければキリがないわけで、大切なのは不正を未然に防ぐ制度を設計することである。

性悪説による法体系の整備が最重要なのは言うまでもないが、人の弱さを認めた上で、人に出来心を起こさせて、その人の人生を台無しにしてしまうということのないような制度設計も重要だと思うのである。

 

つまり、京セラの稲盛和夫氏の「稲盛会計学 7つの基本原則」「ダブルチェックの原則のような考え方を制度の設計段階で盛り込むことが大切だと思う。

 

「ダブルチェックの原則」は、経理のみならず、あらゆる分野で、人に罪をつくらせない「保護メカニズム」の役割を果たす。

伝票処理や入金処理を一人ではなく必ず複数の人間でチェックするというダブルチェックのシステムは、業務の信頼性と、会社組織の健全性を守ることになる。

 

行政におけるダブルチェックの仕組みは現在でも厳格なものはあるだろうが、ブロックチェーン化だとか、紙ではなく遡及可能なデータでの管理といったものを進めることによって、より人に無用な罪を作らせないように変えていくべきだと思う。

なお、俺の中で稲盛氏の哲学には、このように肯定できる要素と、やりがい搾取なのではないかと思う要素の両方があり、後者についても述べたいことはあるのだが、これについて述べるのはまたの機会にしたい。

 

それにしても、シリア情勢、北朝鮮情勢、世界貿易戦争リスクといった結果が問われる重要項目に対し、今の国会で話し合われていることの内向きかつ不毛なことといったらないと思う。

シリアで起きている惨事に沈黙してまで全力集中することかと思う。

 

予算委員会への違和感

日本の国会はイギリス型の本議会中心主義ではなくアメリカ型の委員会中心主義をとっており、議決の場である本会議よりも各委員会での審議に重点が置かれているが、これは合理的だと思う。

アメリカでは大統領から提出された予算案に対して国会の与野党の議員によってさまざまな修正を加えられるらしく、三権分立がきちんと働いている。

ところが、日本では、内閣と国会の多数派が一致している議院内閣制であることもあり、予算案に関しては、与党内の族議員等による調整を経た後に内閣によって提出された後は、財務官僚が精緻に作り上げた予算案に修正を加えるとあちこちに歪みが生じることもあって、審議は行ったとしても大抵はそのまま通るわけで、野党にとっての予算委員会とはパフォーマンスを発揮したり、拒否したり、座り込んだりするぐらいしか出番がなく、国会が予算を修正するという本来の役割を果たしていないように思う。

17におよぶ常任委員会の中でも予算委員会は、予算に関することなら何でも扱って良いということ、予算委員会は平日午前中のNHK中継なども入って国民老人の注目を一身に浴びること、予算に関わるということから全閣僚出席であることなどの理由で特別な委員会と言われる。

他の委員会で扱う内容ではない審議が予算委員会に全て集中し、国政調査権の発動による証人喚問などもここで行われるわけで、野党のパフォーマンスの場という意味も含めて、国会の花形となっている。

本来ならばここで本当に国のために必要な議題について審議して欲しいのだが、モリカケ問題ばかりが審議されて、予算委員会の場が空転している。

 

俺はこの仕組みに対して、子供の頃からおかしいとまでは思わずとも違和感を持ち続けているが、違和感を持っているのは俺だけではないだろう。

各自が手持ちのマイクで発言すれば良いのに、いちいち発言台に出てくるところも含めてである。

また、予算委員会が空転すると本来別に必要な審議事項が流れてしまうので、野党がモリカケ問題を司法以外でどうしても論じたいと言うのであれば、特別委員会でも別組織でも良いので別途に検討する場を立ち上げて協議すれば良いように思うし、そもそも、審議自体、議場ではなくて文書でやりとりすれば良いのにとすら思う。

別途に協議することを与党が拒否しているのか野党が拒否しているのかはわからないが、野党は最も注目度が高い予算委員会で派手にやりたいのだろう。

 

ところで俺が、先ほど、「おかしいとまでは思わずとも違和感」と述べたのは、なんだかんだ言って日本はこんなことで国が騒いでられるほどに平和な社会だからである。

それと比べて、中国やロシアのえげつない政治を見ていると背筋が凍る。

また、マケドニアのヴェレス村の数百人の若者がいまだに「読んで騙されるほうが悪い」と言って、罪悪感ゼロでフェイクニュースをいまだに書きまくって暴利を貪っているといったニュースを見ると、このような国には生まれたくないと思う。

まあ、マケドニアは古代マケドニア人の国ですらないのだけど…。

前回書いたのとは真逆の内容になるが、やむにやまれぬ嘘をつく者はいたり、こっそりと漫画村を閲覧する者はいても、世界的に比較して、基本的に人を信頼できる社会であり、格差も目を覆うほどではなく、治安も良く、こういったことGDPのような指標には表せないものの、日本社会はそういった安心感のある社会が維持されていると思うのである。

 

チベット仏教の信仰の中心であるラサのジョカンは2月17日の火事で一部が燃えたが続報が入ってこない。入場できるのかも含めてわからない。心配だ…