GOODDAYS

  世の中の歪みをかいくぐってひたすら逆張りの人生を歩む俺の意見

平成の終わりに日本人は呪縛から解放されるのか?

パワハラだの、暴力だの、働き方だの、夫婦のあり方だの、大相撲だの、日本社会でこれまで当然とされてきたことに対して、このところ、ルールがオセロのように根底から覆っていっている。

平成も終わりになって、日本社会がやっと昭和的な呪縛から解放されていっているように思う。

これが日本人の生き方や幸せや国力にどう結びついていくかを観察していくのがとても楽しみである。

まあ、国力に関しては低下するほうに働くかもしれないけど…。

 

暴力といえば、俺は九州の出身であることもあって、子供の頃は教師からボコボコに殴られるのは日常茶飯だった。

何人も正座させられて、教師が端っこから殴ったり蹴ったりしていくことは珍しくもなんともなかった。

 

小学校2年生の頃なんて、悪いことをしたらおでこにマジックで×印を書く教師がいる始末で、しかも、校内にいる間はそれを消してはいけないことになっていた。

今の子供だったら親に訴えて、親もどこかに訴えようものを、俺が子供の時は親にバレたらカッコ悪いからバレないように帰り道に公園などで必死で消したし、親にバレたとしても親も教師のことを悪く言うことはなかったような時代である。

 

俺は親父から、「テストの解答欄はデタラメでもいいから必ず全部埋めにゃ。終わっても時間の最後の最後まで見直さにゃ」と言われていたのだが、高校の地理のテストで最後の最後まで考えてもどうしても川の名前がわからなかったため、時間切れ直前に家の近くを流れる川の名前を書いたら、テスト返却の際に、ブチ切れた地理の教師から何発も殴られた。

ちなみに俺は地理が大好きだったから、全く勉強せずとも地理の成績は極めて良かったのにもかかわらずである。

元々、趣味的な意味で世界史をしっかり勉強したかったという理由もありつつ、それにいじけて、俺は入試科目として世界史を専攻したが、それでも地理の学力は落ちなかった。

今でも落ちていない自信はある。

余談だが、俺の思考回路に決定的に大きな影響を及ぼしているのは親父で、「必ず全部埋めにゃ」というのは往生際は悪くあれという親父の俺に対するメッセージである。

ちなみに、親父は子供に手を上げる親ではなかった。

 

俺は国立だったから坊主ではなかったが、市立の中学生はほとんどが全員強制で坊主だった。

 

昔と比べれば今はとても良い時代である。

 

ここから話を変える。

 

日本国憲法9条2項を普通に読めばどう考えても武器の一つも持てないはずなのに、見解の修正や曲解を加えて、実力組織の自衛隊を持ち、当然、平和維持に必要と思われる集団的自衛権を持つに至って年月が経つが、あまりにも苦しい。

この分野における憲法学者までいるぐらいだからバカバカしいとしか言えない。

また、非核三原則も守っていないのに守っている体でやっている。

デタラメの極みである。

本来なら、「改憲国民投票で9条2項を維持するなら自衛隊も解散して完全非武装にしましょう。中国に好き放題にされても後は知りませんけど…」と言ってから国民投票をすればおもしろいように思うのだが、長年に渡って強引なことをやってきたため、今さらそんなことができるわけもない。

国の根幹を為す憲法ですらこうなのだから、この国は一事が万事でこの調子なのである。

 

小泉内閣時に当時の国際情勢的にどうしてもイラク戦争後の人道復興支援をする必要に迫られ、「非戦闘員地域」に派遣することになったわけだが、派遣した南スーダンでは戦闘は明らかに行われていたわけで、「治安は安定している」と言うために日報を出すわけにはいかず、お国のためにごまかし続けて今日に至る。

 

森友問題も、無理筋なことをどうにか強引に丸く収めようとつじつま合わせのために役人がやってはいけないことを次から次へとやっている様子は見ていてあまりにも痛々しい。

 

まともに法律を守ったら立ち行かないからということで、上手く物事を運ぶために、自己犠牲的に法を犯してしまって、そこをチェックするマスコミや野党に塩を擦り込むように追求される辛さといったらないだろうと思う。

上手く物事を運ばせるために危ない橋を渡ってしまうことは人間ならば誰しもあるのだろうが、忖度だとか、有休消化をしないだとか、自主的な残業をするだとか、そういった日本人独自の自己犠牲的な行動パターンを見るにつれ、今、一気に日本が溜めてきた膿を出しきってしまうよう願いたく思う。

まあ、それでも海外の色々な国を見て回れば日本はダントツでいい国だとわかるし、シリアのあまりにもの惨状を見れば、日本人であることに感謝するしかないのだけど…。

 

最近、部活動について教師の労働時間の問題や、活動時間の多さなどが問題となっていることが多いが、これもとても良いことだと思う。

俺は日本人のこういうどうしようもない部分の何割かは部活動に原因があるのではないかと思い続けているのである。

俺は自分の経験上で体育会のカルチャーを反吐が出るほどに嫌っており、こういう文化が世の不正を助長する体質を作るとさえ思っている。

そして、その権化とも精華ともいうべきものが大相撲だろうと思う。

 

ところで、「これが外に出れば、もしくは出せば結構な騒ぎになる」と思っているような材料を持っているという世の会社員は少なくないのではないだろうかと俺は想像している。

それは、データの修正やちょろまかしだったり、情報の漏えいだったり、著作権などの知的財産のことだったりするのかもしれない。

例えば、紙の記事やデータをスキャンしたりデータ化する際に知的財産の二次利用許可申請や情報のセキュリティーについてどの程度の注意が払われているだろうか。

世の多くの会社員はコンプライアンスや法を完全に順守するのは難しいと感じているのではないだろうかと想像する。

コンプライアンス違反が見つかった時のバカげた商品回収などの過敏な反応の陰に一体どれぐらいの「バレなきゃいいだろ…」があったのだろうかといつも思う。

 

そもそも、法律はあまりに複雑だし、その全てをきちんと守って生きることはとても難しい世の中である。

役所がサービス残業をしている時点で完全にアウトだし、徹夜や休日出勤して国会答弁の資料を作るのも労務的にアウトだし、他にも、歩行者の信号無視、北海道などにおける見通しが良い複数車線道路でのスピード違反、駐輪・駐車違反、仲間内での賭けなど、一つでも破ったことがない人がどの程度いるだろうかと思う。

そして、日本人は本当の意味での悪意がなくて、結果として悪事に手を染めてしまうことが多いわけで見ていて痛々しいのだが、こういう自己犠牲的なパターンは日本以外ではあまりないのではなかろうかと思う。

 

大相撲の大砂嵐関は嘘に嘘を塗り固めて引退に追い込まれたが、俺はエジプトを旅行したことはないし、偏見で見てしまっているのだけど、特に発展途上国の人の嘘は日本人とは何段階もレベルが違うことを海外で騙されてきた経験から嫌というほど知っているので、大砂嵐は大砂嵐なりに普通の対応をしたら日本では大嘘つきになってしまったのだろうと思ったが、日本以外での嘘というのはこういった普通の嘘なのである。

 

俺は平成の終わりに日本人が自己犠牲的な呪縛から解放されていくことを強く願いたい。

 

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