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  世の中の歪みをかいくぐってひたすら逆張りの人生を歩む俺の意見

人生を考えるうえでの真のグローバル思考⑤ 移民について

「人生を考えるうえでの真のグローバル思考」を深める上で移民の是非について考えることは欠かせない。

移民を受け入れないで国内で完結させる場合(下では「国内」と表記)移民を受け入れる場合(下では「移民」と表記)のそれぞれについて項目別にメリットとデメリットを羅列して考えれば、全体的な方向性を見出せるのではないかと思うので僕の考えを羅列していくこととする。

思いっきりやわらかく考えるため、僕の思いつきをひたすら述べていくこととし、文献等を参考にするのは止めることにした。

なお、僕個人の意見を結論から述べておくと、移民政策については相当慎重にするべきだろういうことになる。

 

 

世界と日本の未来の人口予測

国内:そもそも親の数が少なく、出生率も低いので、日本の人口は減り続ける。
僕はそれでも構わないと思うが、日本国内の高齢者率が上がっていくことは免れない。

移民:世界の人口はアフリカ・アジアを中心に増え続け、これまで述べてきた通り、人間圏の持続可能性に脅威を与えかねないとも推測される。
なお、日本が移民を受け入れれば多くの外国人が移民となることを希望するのではないかと思う。

 

子育て・教育コスト

国内:自国で産み育てるので子育て・教育コストがかかる。

移民:他国で産み育ててもらえるので基礎教育コストはかからないが、再教育コストは多少かかるかもしれない。
僕を含めて、地方で育った子供が大学入学時に上京し、そのまま東京に住むことで、東京は子育てコストを抑えることができているが、それに近い感じといったところだろうか。

 

社会保障コスト

国内:このままいけば高齢者率が上がって、将来の現役世代の負担が増す
将来の現役世代の負担を減らすために、定年制度の撤廃や年金の支給開始引き上げ・減額が模索され、国を挙げて、「生涯現役」「人生100年時代」とキャンペーンを打って、現役世代にリタイアさせないための良い意味での刷り込み活動をしている(前日述べたが、橘玲氏はこのキャンペーンに絶大な貢献をしておられる)。
本来ならば、子育てをして将来の納税者を扶養した層と、子育てをしていない層と、第3号被保険者の専業主婦が同じように賦課方式の年金を受け取れる状況は年金福祉国家においてはあってはならないと思う。
本来、子供と老人という扶養世代に関わるコストは勤労世代が全員で負うべきなのにも関わらず、国は老人の生活についてだけ年金で面倒を見ており、子育てに関しては親が多くのコストを負担しているのが現状であり、これは実に不公平で、かつ、少子化を推進するものである。
別途、このシリーズで触れますが、僕は勝手にこの状況を「子育ての趣味化」と呼んでいる。
なお、矛盾するが、僕は人類の人口減を望み、かつ、子供がいないので、この不公平を意地汚く静観している。

移民:移民により現役世代の人口が増えるため、移民が社会保障を支える一面を持つが、移民は低所得者層になりやすい。
そのため、結局は、日本人から徴税された税の少なくない部分が移民への福祉コストとなる。
教育コストはかからないが、生活保護等の福祉コストというかたちでの日本人から移民への資産流出は防ぎようがない。
このコストの拠出への反対と異なる言語・文化・宗教・治安悪化への嫌悪感が欧米諸国における移民反対運動につながっている。

 

言語

国内:国籍が血統主義なので、話・読み・書きともに、ほぼ100%日本語が通じる。

移民:片言で日本語を話せても、読み書きができない日本人が出てくる可能性はある。移民に言語能力テストを課しても、移民者の家族全員にそれを課すのは難しい。
都合が悪い時に日本語がわからないふりをする者は続出するだろう。

 

国民性・モラル

国内:日本人の素養を持って育てられる。
日本人が日本人らしくあり続けられる。

移民:育った国特有の素地・素養を持つ。
仮に、中国人の移民を多数受け入れれば、全く日本語が使われない中国語生活圏が形成されることは容易に想像できる。
僕が旅をして得る所感として、先進国でない国にはどこかに先進国にのし上がれない理由があり、その根本的な理由には、政情・教育制度・怠惰さ・モラルの低さがあるのではないかと思うが、特に怠惰さ・モラルの低さは要素として大きいと思う。
僕は儒教的な教えが嫌いであるが、儒教的な教えが、プロテスタントユダヤの宗教観と同じく、勤勉さとモラルを醸成するうえでこの上なく役立つことは強く認める。
仮に北朝鮮が資本主義陣営に入れば東ドイツのようにすぐにのし上がれると想像するのである。
ただし、移民が儒教的・日本的な価値観にプラスのダイバーシティを与え、日本人がタイ人のように大らか=マイペンライに、フィリピン人のように明るく、中国人のようにたくましく変容していく可能性は大きい。
日本人も慣れるまでは移民の図々しさやしたたかさに辟易とするだろうが、いずれ順応できるようになるのではないかと思う。
なんだかうずくまっている人が多いように見える日本人の精神が解放されることに対しては大いに期待したい。


人材レベル

国内:バブル崩壊以降の停滞は、デフレと金融政策のせいだけではなく、時価総額上昇圧力の低いぬるま湯経営・圧倒的に優秀な者がいても突出させない給与体系・整理解雇の四要件による人材の固定化・画一的な教育などによって生み出され続けている。

移民:優秀な移民は努力に対する見返りの大きいアメリカを目指すはずで、日本を目指す移民に優秀な人材は少ないと思う。
とはいえ、地理的な優位性から、中国の優秀かつ上昇志向の強い層が大挙して日本に移民する可能性はある。


消費

国内:日本企業は海外に投資をする傾向にあるが、日本人は基本的に国内で消費する。

移民:日本国内で消費せず、海外に送金するので、生産には貢献しても消費への貢献は限定的かと思われる。
これは統計上の輸出項目であるインバウンドとは違い、事実上の輸入にあたる。
移民の海外送金に制限をかけることは世界中でなされており、可能だが、抜け道は用意されるものである。

 

生産

国内:高齢者率が上がり、AIが進まない限り、労働力が不足する。
労働力が不足すると、賃金の上昇圧力が高まり、失業率は下がり、インフレが誘導されやすい。
当然ながら、人件費高・採用難を嫌う日本企業が海外に進出する度合いも高まる。

移民:賃金の下降圧力が高まる。
不景気時の失業率の上昇、犯罪率の上昇が考えられる。

 


以上、これらが僕の考察だが、最初に述べた通り、総合的に考えて、移民政策については相当慎重にするべきだろうと考える。

少なくとも高学歴人材で、言語や価値観において日本人と相当レベルで歩調を合わせられないと難しいだろうと思うが、仮に僕がどこかに移民したとしても、いつまでも日本の話題・ニュースばかりを追って、移民した国の話題・ニュースにはそれほどの関心を抱かないだろうなと思うわけで、それは海外から日本に移民した人にとっても同じことだろうと思う。

ただし、これに関しては世代が変わっていくにつれ同化していくものと思われる。

 

政府の難民受け入れの少なさを見てもわかるとおり、今の日本政府は僕よりも移民に対して慎重に考えており、だからこそ、定住を前提としない留学生と研修生を中心に受け取れているのだが、この両方とも日本のやり方が姑息で、問題が山積している。

特に後者は人権的な観点から見ても有害なのですぐにでも廃止すべきである。

ただし、労働力の逼迫によって産業界から政界への移民受け入れへの圧力は相当に高まっているのだろうと思う。

 

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