どうしたって資源は有限
確かに、子供の頃にはオゾン層消滅や酸性雨の脅威が大きく騒がれていたが、人類はこれらのコントロールにはある程度成功している。
大気汚染も電気自動車の利用が進み、石炭の使用が減れば相当改善するだろう。
また、子供の頃には、21世紀になって少し経つ頃には石油はもう枯渇するかと心配していたけど、その後の発見によりまだしばらくは大丈夫ということになり、おそらく僕が生きているうちはどうにかなりそうな気がしている。
しかし、石油などの資源が有限であることは間違いなく、石油の浪費を基本とした文明には持続可能性はない。
こちらが参考になると思う。
人間圏巨大化のターニングポイント
後になってわかるターニングポイントというものがあるが、人間圏の巨大化は産業革命によって化石燃料等を利用するようになり、「エネルギー循環を先送りし、時間を先食いすることによって豊かさを手にした」ことにとって生まれたが、その勢いを大きく推進したターニングポイントは冷戦終結前後の世界の動きであろう。
ソビエト連邦が崩壊し、それと前後して、世界経済のグローバリゼーションが進み、それまで西側先進国クラブだけが独占的に享受してきた資源を浪費することで成り立つ豊かな生活を、特に東アジアを中心としたその他の国に住む人々が享受するようになった。
そのことに関して、僕は「優秀な中国人を閉じ込めた毛沢東は偉く、改革開放を推し進めた鄧小平はとんでもないことをしてくれた」という不謹慎な発言をすることがある。
こうして本格化したグローバル資本主義の動きが人間圏に与えたインパクトは絶大である。
このグローバリゼーションによって、子供の頃に習ってきた、共産主義・東側陣営だとか、第三世界だとか、南北問題だとかいった言葉は死語と化し、世界の貧困は相当なスピードで減少を続けている。
個々の人間が豊かな生活を追求するうえではグローバリゼーションはあるべき姿ではあるが、長らく西側先進国クラブでのみ囲い込んできた水準の生活をその他のプレイヤーが猛烈に求め始めた結果、人間圏の持続可能性は大きく揺らごうとしている。
そして、人間圏の持続可能性の問題を解決するには、もはや、以下のどちらかしかないと誰もが考えるであろう。
- ストック依存を根本的に改める。
- 人間の数を激減させる。
僕は、前者が進むことを願いつつも、後者に救いを求めたい。
世界的に子孫を残すインセンティブを貶めることこそが世界を救うと思っている。
将来の世界の人口と日本の人口
しかしながら、世界の人口は増加する一途であると予測されている。
2017年6月21日に国連が発表した「世界人口予測2017年改定版」によると、毎年約8,300万人の人口増により、現在76億人の世界人口は、2030年までに86億人、2050年に98億人、そして2100年には112億人に達すると予測されている。
対して、日本は2050年に1億人、2065年に8,800万人になると推計されている。
僕は1976年生まれなので個人的にはこの辺までデータがあれば十分である。
日本への移民の是非についての考えについてはこのシリーズで触れたいと思うが、「世界では人口が増えることが問題」であり、「日本では人口が減ることが問題」と考える人が多いわけで、これを地球視点で考えれば移民を受け入れれば済むだけの話ともいえるのである。
そして、現在は子供を産む年齢の女性の人数が既に少ないのだから、出生率に目標を定めても生まれる絶対数は少ないわけで、もはや出生率はあまり意味を持たないため、日本国が本気で人口維持に努めるのであればもはや移民以外の選択肢はないと思う。
しかし、僕は、グローバルな視点で見れば人間は数を激減させるべきだと思っているので、国の少子化問題に今一つ興味を持てない。
いずれはの話ではあるが、日本国においては、人口を減らしながら、人々が豊かな人生を歩むにはどうすれば良いかを考え抜く方向に国民の意識をシフトさせて行くべきだと思う。
何だかんだ言っても今は全世界が経済最優先であるが、その潮目は必ず変わると思う。
そして、僕はそれを先取りした人生を今のうちから歩みたいと思う。
次回以降はラディカルなことを述べていきます。
成都にて。人間はパンダのようにほっといたら滅ぶ動物ではない