GOODDAYS

  世の中の歪みをかいくぐってひたすら逆張りの人生を歩む俺の意見

成人式に多額のお金を注ぎこむ意義が僕にはわかりません

 

被害者には同情差し上げます 

成人式当日に振袖衣装の会社の「はれのひ」が計画倒産して逃げたようだが、せっかく振袖の予約して、お金まで振り込んでしまっていた人もいたようで、その被害者には同情差し上げるしかない。

結局はカード会社から全額返金されたが、てるみくらぶに痛い目に遭わされた者としてその悔しさはわかるし、一生に一度の機会をめちゃくちゃにされた悔しさは言葉に尽くせないものがあると思う。

 

成人式に対する違和感 

しかし、それでも僕が成人式に対して毎度思うことというのは、自分でろくに稼いだこともない若者が成人式に着る衣装が年々華美になっていることに対して、当人も親も違和感を抱かないのかということである。

親や爺さん婆さんがどうしてもというのであれば仕方ないが、もし僕にとって、気になるあの子が成人式に振袖で登場した場合と、超少数派であっても前から持っているスーツで敢然と登場した場合のどちらに好感を抱くかといえば断然後者だったろうなと思う。

 

当日に衣装を調達できずに泣き崩れた人の気持ちはわかるが、テレビに出ていた被害者には「衣装がないのでもう式には出ません」とキッパリと言う人がおり、これには成人式の存在意義の虚しさを感じずにはいられなかった。


そもそも、多くの人にとって人生の転機は18歳と22歳に訪れるものであり、選挙権まで18歳になった今となっては、酒とタバコというろくでもないものを嗜む権利を得たという程度で20歳になっても何の感慨もないだろうに、何故にこんなにバカバカしいイベントをするのだと思わずにはいられない。

早く成人年齢を18歳に下げて、3年分を1年でやってしまって振袖率を一気に下げて形骸化してしまえとすら思う。

 

僕は親に黙ってキックボクシング部に入り、週に6日の練習があったので、アルバイトは夜勤か早朝しかしていなかったのだが、比較的裕福な家庭に育ったこともあって、アルバイトをせず生活できるほどの仕送りをもらっていたし、ヨーロッパやアジアをバックパッカーとして旅行するための資金を「今しかできないことだ」と親父が出してくれたりと、親のスネをかじりまくっていたので、正直言って全く偉そうに言えた身分ではない。


しかし、何のためにあれほどの大金をかけて画一的な格好をして、あってもなくても良いような成人式などというイベントに出なくてはならないのかということについては不思議でしょうがなく思う。

人と同化することが何よりも嫌な僕にとっては、わざわざ画一的な格好に着飾るのは拷問に近く思える。

もしかしたら、本当はああいったことにお金をかけたくなくても同調圧力でかけざるを得なかった人もいるのかもしれない。

僕のように、他人と同化することや人と繋がることが好きではない変人であれば気にならないはずだが、多くの人はそうではないので、この線で周囲に合わせちゃっている人も少なくない気はする。

 

一気に使ってくれるのはありがたいが…

消費こそが景気を良くする唯一にして最大の手段であり、成人式・大学の卒業式・結婚式と、衣装に人々が散財して景気が良くなってくれることは僕個人としてはとてもありがたい。

僕の哲学は「とにかく使わない」「使わない楽しさにこそ豊かさがある」「貯める」「運用する」「他人のために働きたくない」であり、これが成り立つためには「どんどん使う」「使うことこそ豊かさである」「貯めない」「借金する」「働く」という人がいてくれないと成り立ちようがないので、僕以外の人にはじゃんじゃんお金を使って欲しいと心の底から思っている。

頻繁に銀ブラをしても業務用スーパーのハナマサで肉か何かを買う以外に何も買わないが、街を歩いている人には「買え~」「使え~」と念を送っているぐらいである。

本当のことを言うと、念どころか声に出している。

 

おそらくは成人式の費用を負担するのは親であることが多いと思うのだが、成人式に使う費用が10万円だったと考えた場合、自分でアルバイトをして稼ごうとすると100時間は働かなきゃいけないであろうと思う。

1日8時間働いたとして、おおよそ12日分である。

凄いなあ、真似できないなあ、真似したくないなあと思う。

聞くところによると、最近は、2分の1成人式などという意味不明なイベントもあるようで、バカバカしいことこの上ないのだが、人々にはもっともっと散財して欲しいと思う。

 

人類の営みとハレの日と僕のパターン

世界中の文化・文明において、人類はハレの日には盛大に祝ってきた。

しかし、それは現代以前の庶民の人々の営みが恐ろしく地味だったからであり、だからこそハレの日にはここぞとばかりにとことん祝ってきたのである。

それに対して、多くの現代人の暮らしは全く地味であるとは言いがたい。

ハレの日など意識しなくても、誕生日だの結婚記念日だのハロウィンだのクリスマスだの正月だのと普段から十分に祝い過ぎであり、もはやハレの日など不要に思えるぐらいである。

 

ちなみに僕個人の成人式はこうだった。

上京して住民票を東京に移した人間にとって、成人式というのは引っ越し先の東京の自治体から招待が来るものである。

また、正月休みが明けて既に東京に戻ってきていて、テストも近まっている時期に成人の日がある。

というわけで、僕は縁もゆかりもない東京都品川区の成人式の招待状を受け取ったので、どうでもいいやと思っていたところ、記念品がもらえるとのことだったので覗いてみるだけ覗いてみるかと思っていたところ、見事に寝坊して、起きた時には既に成人式が終了している時刻だった。

余談だが、大学の入学式も寝過ごして出ていない。

普段はあまり寝過ごすタイプではないのだが、なぜかこの二つの式は寝過ごした。

だからといって何の後悔もなければ、特にしまったなあとも思わなかった。

ちなみにパートナーは当時カナダ在住だったため成人式はスルーしている。

ついでに結婚式について 

また、単に価値観の話なので、人が盛大な結婚披露宴を挙げることにとやかく言うつもりはないし、自分もグアムで家族だけの結婚式を挙げたし、究極のド派手支出である結婚式産業は経済発展に大きく寄与しているすばらしい産業だと思うので、無理やりにでも需要を創出していく必要に迫られている現代の経済にとって福音とも思える存在だと思うのだが、「あれって費用に見合う満足て得られるものなのかな」と個人的には疑問に思う。

自分に関して言わせてもらうと、おそらくは宮崎と長野に住む両家で海外に旅行する経験などというのは一生に一度きりのことだと思うし、行き先がグアムだったので全てひっくるめてもそんなにお金もかからなかったため、個人的には海外挙式から費用に見合うだけの満足が得られたと思っている。


盛大な披露宴もそうだといいのだが思いたいのだが、来客が多いだけに当人達は大変だろうな、あれこれ気を使うのだろうなと行くたびに思う。

グアムで超お手軽に結婚式を挙げた直後に海でひと泳ぎし、さらにその後、弟とパートナーと3人でストリップバーに繰り出して1ドル札をアマゾネスのような白人ストリッパーにばら撒いていた僕の気の使わなさとは大違いだろうと思う。

 

質素を貫き、生活の質を高めれば、ハレの日は一切不要となると思う

結局、何が言いたいかと言うと、ただでさえハレの日続きの日常の中で、たった一瞬のために莫大なお金を使う人の気持ちが僕には全く分からないということである。

ドケチな僕には「そのお金があれば別のことができるのに」という発想しか思い浮かばないのである。

そんなわけで、僕は人生を通じて、とある一日に莫大なお金をつぎ込んでイベントをした記憶はないのだが、自分の葬式も含めて、今後もそのようなことをすることは全くないだろうと思う。

 

そもそも、僕は日々の質素で豊かな生活にとても満足しており、そういったことを望む気がしない。

シンプルな自分の家に満足できているので、豪華なホテルに対して憧れがないし、我が家からの眺望を相当気に入っているので、サントリーニ島やバリ島のヴィラにでも泊まらない限りはそこまでうれしくないんじゃないかなあと思う。

 

余談だが、僕は年末年始はもっぱら海外か東京かパートナーの実家で過ごす。

うちの親は「寒くて運賃の高い正月になんぞ帰省する必要なし」「帰省は気候の良い春か秋の閑散期にすべし」と言い、実家にはトイレは3ヵ所、部屋は10部屋もあるのに、「お互いに気を使うのは面倒だから帰省時はホテルに泊まれば良いといって航空券とセットの宿泊パックで帰省する合理主義ぶりである。

そんなふうに育ったからこのようなドライな感覚になったのだとも思う。

 

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f:id:gooddays-shumai:20180109171902j:plainサントリー二島イア地区で撮った夕景

f:id:gooddays-shumai:20180109171915j:plain銀座のハナマサの半額肉、1,357gあるので冷凍すれば13食にはなる