GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

人間はボノボみたいではダメなのか?

芸能人や有名人が不倫しただのこうだのということに何故にこんなに世間が騒ぐのかわからない。

当事者同士で迷惑がかかるというのはわかるが、それが他人に迷惑なこととは思えない。

広告キャラクターとしての商品イメージへの毀損、もしくは出演している作品等のイメージの毀損、もしくは所属する会社の信用問題という意味でスポンサー等にも迷惑がかかるだろうから、世間とやらではなく、そういった存在に謝罪するのならわかるが、世間に謝罪する必要性は感じない。

 

リスクコントロールという意味で謝罪しておいたほうが後々良いから謝罪するのだろうが、そういった腰の引けた態度が、どうでも良いことで苦情の電話をかける輩を生んだりするわけだし、BtoBにおいてもBtoCにおいても全く対等でない不健全な日本社会におけてカスタマー側をますますつけ上がらせるのだと思う。

 

ところで、セクシュアリティや婚姻制度に対する僕の考えはかなりラディカルである。


フランスのように婚姻率が低い国もあるが、僕個人、結婚はしているけど結婚という制度はバカバカしいことこの上ない制度だと思っている。

浮気されたほうが法的に優位に立ちたいがためのセコい制度にすら思える。

子供の養育のために法制度が整備されることに関してはわかるが、そうでない部分に慰謝料だのなんだのという仕組みがあることに打算を感じる。

そもそも賦課方式年金国家かつ福祉国家においては、子供の養育費用は未来の納税者育成の観点で社会全体が多くを担うのが筋でありフェアだと思う。


まず、恋愛と結婚を分ける意味がわからないし、好きでなくなったら好きな相手に取り換えれば良いだろうにとしか思えない。

好きでもない相手とオサラバするのは気持ちの問題のはずなのに何故に法的な問題で揉める必要があるというのだろう。

それこそ、愛というものを金銭だのなんだのというもので測ろうとする浅ましい行為ではないだろうか。


それどころか、浮気のどこが悪いのだろうかとも正直なところ思っている。

僕自身はパートナーが嫌がるとわかっているので結婚して一度も浮気をしたことがないけど、自分自身ではパートナーが浮気をしたとしたら、自分自身に落ち度があるから、もしくは、パートナーにそのような性癖があるということでそれはそれで仕方なかろうと思うような態度でありたいと思っている。

もちろん、パートナーにそういう嗜好はなさそうではあるが…。


ここまで強弁しているものの、僕自身は結婚前に別の女性とつき合っているときに浮気をしたことがあり、その逆は一度もないと思うので、浮気をされた者の実際の心の痛みがわかるかといえば経験則としてわかっておらず、実際にそのような態度でいられるかもわからない。


ただ、愛情だとか人生を共にする行為と、性的行為をセットで考える考え方は合理的ではないと思うのである。

交際相手だろうが、そうでなかろうがお互いに性的行為を楽しみたいと思ったら好きにすれば良いだろうにと思うのだ。

僕のパートナーが別の相手と性的行為をするとは思えないが、仮にそれを楽しんでいたとしても、そのことと愛情だとか人生を共にするということとは分けて考えられるようでないと理性的かつ合理的でないとすら個人的には考えるようにしている。

つまり愛情と性欲の問題の分離であるが、人間の遺伝子というのは特に恋愛初期に関してはなかなかこの分離が難しかったりするから人類の叡智で現在のような社会規範が形成されたのかなとは思う。

 

それでも個人としては、避妊と病気の問題はあるが、性的行為もスポーツや趣味と同じように考えるほうがより理想的だと思う。

少なくとも宗教というインチキよりはセックス=スポーツ説のほうが僕自身は断然受け入れられる。

江戸時代は混浴だったし、銭湯でお見合いしていたぐらいだから別にどーってことはないだろう。

 

僕はホモセクシュアルではないが、人が人生を共にする相手の性別などどうでも良いと思っているし、一夫多妻だろうが、多夫一妻だろうが、多夫多妻だろうが、多夫のみだろうがそんなことはどうでも良いと思っている。

現に、一夫のみだとか、一婦のみというのがこんなに多いのだから、もっと色々なパターンがあって良いだろうと思う。


つまり、猿のボノボのようなあり方が理想だと思っているのだが、異端も異端、ラディカルもラディカルと言われるだけなのだろうな~。

 

ついでに書いておくが、パートナーは僕のブログの一読者であり、このボノボ説は僕が常日頃から家で唱えている言説である。

 

オラ、ボノボではない、オラウータン