GOODDAYS

社会全般について思ったことをここでつぶやいてます

やはり「やらなきゃ」も成長には必要である

前回、「『やらなきゃ』から『やってしまっていた』への転換」という内容で書いたが、今回は逆のことを書く。

「やらなきゃ」をやらなかったらクラシックギターは絶対に上達しない。

クラシックギターの練習、その中でも基礎練習とソルフェージュは恐ろしく退屈である。
これを楽しいと思ってやる人はおそらくいない。

個人的には一日の中で、最も退屈な作業かと思う。
仕事にはここまで退屈な作業はない。
これと同じぐらい苦痛な作業を挙げるとすればキャベツの千切り器でキャベツを千切りする作業と、週1回10分間のダンベルトレーニングぐらいなものである(寒い日に走るとか、5時に起きるとかそういうのはそもそも苦痛過ぎて止めた)。

上手くなるまでは修行と思ってやらなくてはならないのだろうが、僕は家でろくに基礎練習をしないことが多いので、教室で先生の前で基礎練習をした次の基礎練習は次回の教室でだったりすることもしょっちゅうである。
それほどまでに嫌なのに、弾けるようになることへの憧れがあるのでなんとか続けている。

上手くなるまで修行としか言いようがなかったといえば、学生時代に打ち込んだキックボクシングがそうだった。

春から始めて、最初はひたすらジャブだけ、その後はワンツーだけ、その次はローキックだけと続き、秋まではワンツーローしかやらせてもらえず、それだけで初戦の新人戦に臨んだ。
この反復練習は本当に肉体的にも精神的にも苦痛だった。

他の大学では全ての技術をまんべんなく練習して秋の新人戦に臨んでいたのだが、ワンツーローしか使えないうちの部の仲間は全勝だった。
無駄な挙動が一切ない美しいフォームで繰り出されるジャブは相手に全く見えないのである。
磨き抜いたワンツーとローキックは、付け焼き刃のフックやミドルキックなどものともしないのである。

基本は大切なのである。

キックボクシングは最初の2年間は完全に苦痛でしかなく、3年目ぐらいに少し楽しさが出てきて、4年目ぐらいからやっと楽しくなり、本当に楽しくて仕方なくなったのは脱サラして再びキックボクシングを再開してからである(再就職してケガを怖れて結局止めたのだが)。

曲を伴奏ではなくメロディーで弾くのが魅力のクラシックギターは遊びと思ってやっているので、上達するために必要な基礎練習やクラシック曲から逃げまくって、「FLY ME TO THE MOON」や「追憶」のようなポピュラー曲を勝手に練習していたりするが、そういった楽しい要素を混ぜ合わせてなんとか続いているといったところである。

でも、「やってしまっていた」だけをやっていては、いつまで経ってもクラシックギターの基礎練習から逃げ続けることになってしまい、それでは上達からも逃げることになってしまう。

前回の記述とは逆のことを書くが、なりたい自分になるためには純粋に「やってしまっていた」だけをやっていてもダメということもやはり頭の片隅に入れておかないといけない。

「やらなきゃ」と「やってしまっていた」の折り合い、「今、やりたいこと」と「やがてなりたい自分」の折り合いをどのようにつけて日々を楽しいものにしていくか。
いやはや、本当に難しい。

満足を得るのが難しいからこそ人生は楽しいとも思う。