もし、宝くじに当たってしまったら、働かなくて良いだけのカネを得られるが、仕事が生きがいでない限り、もしくは勤労の義務がある以上は働かなければならないという殊勝な信念を持っていない限りは、せっかく与えられた幸運な環境を生かしきって貪欲に生きねばもったいないと意気込んでしまうだろう。
僕の場合だと、世界を見て回って、いろいろな体験をしようとするだろうが、そうなると、語学力も必要だし、旅で受けるストレスに勝つ精神的な強さも必要だし、身体の強さはもっと必要で、考えるだけで気が重くなる。
また、働いていないからには趣味もそれなりに充実させたいと意気込んでしまうだろう。
好きな時に寝て起きて食べて無為に過ごすことも可能だが、僕が体調を崩すのは大抵休日であり、平日は大抵すこぶる体調が良いので、体調管理にも苦労をすると思う。
そういう意味では惰性であっても仕事をしてそれで何かをした気になれる身分というのは案外楽なものだとも思える。
また、良く考えれば考えるほど、暇はともかく、カネがあってもできることが限られることに愕然としてしまう。
僕の場合だと、カネの有り無しによって以下のように行動が変わるはずだが、実際にはそんなに変わらなかったりするのである。
もちろん、働かなくて良いほどのカネがあれば、カネではなく、暇を手に入れることができるわけだが、それはうらやましいことではあるものの、先ほど述べたような別の苦労が発生するわけである。
健康
健康は何よりも大切である。
カネがあってもなくても国民皆保険制度の国では医療レベルがそんなには変わらないし、日々の健康維持はきちんと野菜を買うお金があればそれで維持できる。
運動に関しても歩くのがベストだが、それにはお金はかからない。
区の1回250円のトレーニング施設や300円のプールを利用していていた時期もあるがが格安である。
ウエイトを変化させられるダンベルを買ってからはトレーニングももっぱら自宅での10分トレーニングとなり、時間もカネもかからない。
本を読む
①好きなように買う ②厳選して買う ③中古本を買う ④中古の100円本を買う ⑤図書館で借りる
→読書は最大の趣味なのでカネがあるに越したことはないが、どうしても欲しい本を買うだけなら家計は圧迫しないし、他は②~⑤で済ませれば十分である。
ギターを弾く
腕が悪いのでいいギターを必要としない。
教室に通う程度のカネがあればあとは本人のやる気と努力のみである。
絵を描く
良い道具を使ったり、いいレッスン本を買うことはできるだろうがそれで上手くなるとも描く喜びが大きく変わるとも思えない。
テレビや映画を観る
①映画館で観る ②新作映画を借りる ③旧作映画を借りる
→そもそも集中力がないとのトイレが近いため映画館に行くのは余程覚悟してからなので、むしろ②か③のほうが楽。
いい家に住む
本当に気に入っている自分の部屋、もしくはリビングルームがあればそれで十分だろう。
どんなにたくさんの部屋があっても人は一つの部屋にしか居られないのだから。
クルマに乗る
クルマに全く興味がない。
クルマを運転するのは気軽といえば気軽だが、あんなに簡単に人を殺せてしまう、意図せずに殺人を犯してしまう方法を他に知らないので僕はクルマを運転することが好きではない。
僕は飛行機は全く怖くないが車の運転は怖い。
地方の人はクルマを便利な存在と思っているかもしれないが、僕のように考えている者もいるのだ。
良い服を着る・良い時計をする
着飾るというのには、自分がいい気分になるため、より好きな自分自身であるためにするものと、他人にそう思って欲しいがためにするものとがあるだろうが、前者は道楽だから好きなだけ楽しむべきだが、後者のために大金=労働時間の対価をわざわざ払いたいか?という問題。
払いたいのであれば自由だが、僕は払いたくない。
オシャレないい店で食べる
店がオシャレに越したことはないが、オシャレな店と味は正比例せず、オシャレな店というのは、店の中に入って座ってしまうとそこで動けなくなるので意外と退屈である。
強がり抜きにして、むしろ、オシャレな店を次々に覗き込む・オシャレな店のある界隈をいい気分で歩くぐらいの段階のほうが寸止め効果があって実は楽しめたりする。
また、豊かな今の世の中にはそれほどカネをかけなくても驚くほど美味しい物が食べられるし、どんなに美味しい物であってもそれが味や脂の強さや濃さによって感じられる美味しさであればそればかりが続くと必ず飽きる。
むしろカネがなくても空腹時に卵かけご飯を食べればその美味しさに驚かされる。
…と、いろいろ書いたが、このように考えるようにして大金が手に入らないことを恨まずに逆にありがたがっておくほうが精神衛生上好ましいのである。