GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

貯蓄が経済成長にとって最大のブレーキなのである

 

お金は借金から創造されていく

1776年に著されたアダム・スミスの「国富論」に「国富は土地と労働が生み出す産物」という意味の記述があるが、経済的な交換価値、すなわち、お金というのは他者の労働を使う時に必要とされるものであり、無人島で全て自給自足で暮らす場合や、家の中で家事労働をこなす場合には必要とされないものであり、これらは経済でいうところの付加価値を生まない。


GDPは年間に生み出された付加価値=他人の労働の総和だが、これは富=ストックの多さによって増えるのではなく、年間での通貨の循環量=フローの増加によってのみ増える

元々は金と交換できるという金兌換制度からスタートしたお金だが、銀行が中央銀行に預けている準備金を基準に貸し出した信用創造によって生み出されるようになってからは、お金は中央銀行が準備金に応じて発行した数字にすぎず、紙幣はその数字を示しただけの紙切れにすぎない。

そして、その数字である通貨供給量マネーストック回転量=借金量が多ければ多いほど増えるという皮肉な運命にある。

つまり、お金は貯蓄から創造されていくものではなく、借金から創造されていくものなのである。

もちろん、現代では金兌換制度は中止されているのでお金は政府の信用によってのみ成り立っている。

 

蓄財をさせずに投資と消費を推進させることによって経済は成長する

当然ながら、世の中の総供給と総需要は一致するが、先進国のように供給力が消費力を上回ることが常態化している経済圏ではGDPは消費が増えることによって増える

これは供給量を増やしても増えない。


したがって、GDPの増加や経済成長のために必要なことは、ひたすら消費を増やす=自らの需要を少しでも多く他人にアウトソースすることである。

したがって、経済成長のために何が悪かといえば、他人に金銭で任せれば良いことを家庭内でやってしまうことであり、家庭の貯蓄であり、企業の内部留保である。

 

もちろん、内部留保の多くは現預金ではなく再投資に充てられている。

とはいえ、家計の貯蓄額が横ばいで、貯蓄率や民間平均賃金が下がり続ける中で、ひたすら右肩上がりを続けて350兆円を超えてしまっている企業の内部留保は経済成長にとって悪と言っても差し支えないかもしれない。

しかし、世界中で法人税率下げ競争が繰り広げられているなかで国はうかつに法人税を上げることもできなくなっている。

また、民間平均賃金が下がり続ける中で内部留保ばかりが上がり続け、そのせいで景気が回復しないのだから怒りが沸くが、それでも日本企業は海外企業と比べて利益率が低くて株価が伸び悩んでもいるのである。

また、海外投資家でない日本人の株主がおとなしいから配当を少なくして内部留保に回せるのだろうが、内部留保よりは配当にしたほうがまだ消費に回りやすい。


また、人口が減り続ける中において国内での需要増加が見込めない中では、何としても海外展開・海外投資が必要になってくるのでそのために企業側にとっては内部留保を確保する必要性が生じるのである。


需要喚起や設備投資を推進して、蓄財させず消費に回させることによってのみ経済は成長する。

「景“気”」とは良く言ったもので、バブル=インフレ時代はデパートでモノを買い、デパートの社員が寿司屋に行き、寿司屋の店員が高級車を買ってお金が回っていたからそれぞれに猛烈な利幅=付加価値が発生してGDPが伸びたが、デフレ時代には100円ショップでモノを買い、100円ショップの社員が回転寿司に行き、回転寿司の店員が軽自動車を買うからいかんせん生まれる利幅が小さすぎてGDPは伸び悩む。

ちなみに、デフレによる企業の収益減は、生産が追いつかないことによる労働量の増加とは違って、意味のない長時間労働や雇用の縮小を生み、失業後の就職難はブラック企業や自殺者を生みやすくなる。


景気の循環がある限り、つり上がった価格が暴落する瞬間は必ず来るので、経済システムとバブルは切っても切り離せない関係にあり、世界のどこであってもバブルはどこかで破裂して、その後に大量の不良債権とデフレを生むが、世界はそのコントロール法を少しずつ勉強しているように見え、だからこそ他国でのバブル崩壊はこの25年間の日本ほどには傷が深くならずに済んでいるようにも見える。

とはいえ、これについては今後起こるバブルにもあてはまるかはわからない。

 

とにかく使え!GDPギャップを埋めないと豊かにならない

貯蓄は個々の人生や自然保護や美学の観点に目を移せば善であり、やたら消費することは悪と考えるのは自然だが、経済成長に限定して見れば貯蓄はとんでもない悪である。

皆が断捨離をしてシンプルライフをして土日に家の中から出ずにお金を使わないのならばその国はどんどんどんどん経済的には貧しくなる。


また、廃棄覚悟で惣菜や生菓子を大量に陳列して購買意欲をかき立てて少しでも多く売りさばかずに、廃棄をもったいないと考えて貧弱な陳列をしてそのせいで売り上げが減れば経済的には貧しくなる。

経済成長にとってこれだけは何を置いても間違いがない事実である。


北欧のように高税率によって所得の大胆な再配分を行う老後の苦労の少ない社会であれば貯蓄性向は低くて済むから経済の高循環を生む。

ところが日本では、少子高齢化財政赤字による増税や年金減、もしくは、就職でなく就社と呼ばれる独特の雇用慣行による転職に伴う収入増の難しさゆえに、国民が貯蓄に走りたくなるのは当然である。


本質的には個人や企業がお金を使わないのだったら、公共部門が景気対策として高齢者へのバラ撒きや、下水道を掘って埋めてその直後に電線を掘って埋めるような無意味な公共事業をやったとしても、そのお金が貯蓄に回ることさえなければそれらの景気対策は成功といえるのだが、バラ撒きをやっても貯蓄に回ることが多くてあまり効かないのがケインズ景気対策の泣き所なのである。

そういう意味では生活保護者のパチンコは逆に成功例ともいえる。


もし、膨大な赤字国債が発行されていなかったとするならば、国民の所得は赤字国債と同額分減っていた、もしくは同額分だけ貯蓄がしにくかったとも考えられるわけで、それほどまでのGDPギャップ=需給ギャップが日本国内に存在し続けているのである。

そして、上がり続ける公共部門の歳出の増加分は見事なまでに社会保障関連費のみであるが、せっかく年金などで再分配されてもそれが貯蓄に回って消費に回らないから景気が上向かないのである。


逆に、社会全体に旺盛な消費意欲があったバブル時代には日本の経済は大きく成長した。

何故に経常黒字・貿易黒字を溜めこむ日本のGDPがずっと増えず、ひたすら経常赤字・貿易赤字を吐き出し続けるアメリカやオーストラリアやカナダやイギリスのGDPがガンガン増え続けたかといえばその旺盛な消費欲によってである。

これにはもちろん人口増加の要素もある。


供給力が高い国=先進国は消費欲さえ健在ならば外国に富を垂れ流し続けても国内経済だけで国のGDPは上がり続けるのである。

富を蓄えるというとドイツや韓国や中国のように貿易黒字をテコにGDPを増やすことばかりを考えがちで、特にドイツは露骨に他国から吸い上げて国の財政を立て直すことにまで成功したのだが、国内でお金がどんどん回れば、国内だけでGDPをガンガン増やすこと=内需主導が可能なのである。

誰かの貯蓄=誰かの借金

現代の資本主義における、銀行制度による信用創造というお金の発行システムもとでは、誰かの預金・預金は、必ず誰かの借金である。

つまり、借金が無なら資産も無になるわけで、金融資産は他人の借金から形成されるものなのである。


それは、日銀資金循環統計を見れば一目でわかる。

バランスシートなのだから当然だが、表中の誤差はあるものの、家計・企業・一般政府・海外資産の合計と、家計・企業・一般政府・海外負債の合計は一致している。


ある人が貯蓄をする裏には誰かが借金を背負っているのである。

最も多い借金を担っている国債の利子は銀行の収益を差し引いて9割強は国民の懐に入り、残り1割弱は日本国債保有する外国人の懐に入る。

そして、国民や企業がお金を溜めこむならば、等号を成り立つために、必然的に国か企業か外国人かが借金を負わなくてはならなくなる。

「誰かの貯蓄=誰かの借金」という図式で考えれば、実は多額の財政赤字というのは国民の多額の貯蓄を形成している決定的な要因であるということがわかるのである。

つまり、国債の増加は国内で消化できている限りは受益者も国民なので、国内での富の再分配機能を果たしているだけにすぎないのである。

日本の国債にはさほど問題はない

ギリシャでは国がものすごい量の借金をし、このほとんどを海外の人が貸している。

日本人は海外に923兆円を貸し出し、海外から568兆円を借り入れているので、355兆円の資産超過となっている。

そして、国民は銀行にものすごい量のお金を貸し、企業は銀行からそれほどにはお金を借りず、一般政府は一部に個人や外国人もいるが、主に銀行や日銀からものすごい量の借金をしている。

一般政府は1,213兆円の借金を負い、564兆円の資産を保有する。

しかし、この借金はギリシャのように事実上の外貨建てではなく、自国でコントロールが効く円建てである。


昨今、国債残高が増えすぎてもはや国民の貯蓄では吸収できないので海外に買ってもらわなくてはならなくなるという声が出ているが、日本の場合は外資産が世界で最も多い国なので簡単にはギリシャ化することはない。

ただし、国債が本格的に海外の資金に頼らざるを得なくなればこの図式がギリシャ化してしまうので、政府はまだ国内で消化できている今のうちにプライマリーバランスを整える努力をしなければならない。

しかし、他国と違って日本は消費税率に大きなバッファーがあり、いざとなればここに徴税権を駆使できるので投資家は日本の国債を高く信頼して極めて低い=むしろあまりにも低すぎる金利で取引しているのである。

もちろん、消費税率を上げると肝心の消費が減るという負のパラドックスが発生するので、これが増税派と増税反対派における毎回の争点になっている。

また、日本の国債の信用が損なわれた際に政府が海外に対して所有する債権を処分していくようなことがあれば、世界経済が大変なことになることは間違いない。

つまり日本と世界は一蓮托生である。

 

直接引き受けはともかく、どんどん金融緩和

国の借金を事実上増やさずに国債を発行する方法として、日銀が国債市場において銀行から国債を買う金融緩和ではなく、国から直接に国債を買う国債の直接引き受けという方法が議論に上がることが多い。

直接引き受けは禁じ手とされるが、税収を増やすことなく、日銀がお金を刷って国に引き受けさせるこの行為がアリなのかナシなのかは経済学者間でずっと神学論争がなされている。

過去には、戦前の日本でこれによるハイパーインフレが起きて戦後は禁止された。

第一次世界大戦後のドイツでも賠償金支払いのためにドイツ帝国銀行ライヒスバンクに多額の国債引き受けをさせて空前のハイパーインフレを招いた。

そもそもこうなることを防ぐために主要国の中央銀行の独立性が確保されるようになったのである。

ハイパーインフレをコントロールできるできないの神学論争や日銀の直接引き受けはさておき、日銀がどんどん国債を買い入れていく金融緩和策には円の通貨価値が棄損させる効果があり、通貨安が進むということにつながるので、2%のインフレと貿易黒字転換を目指すアベノミクスのねらいとは合致するのである。

借りろ!借りることは最大の善行

国民が銀行にお金を貸し、銀行が日銀の当座預金に預けた準備金比率に応じたお金を銀行に日銀が供給し=貸し、銀行は企業や家庭にお金を貸す=信用創造する、もしくは投資銀行のように自己運用して経営されて通貨は社会に出る。


つまり、借りる人=借金がなければお金は世の中に流通・存在しないのである。

現在の世の中は、アントレプレナーが株式会社を創設して出資に見合った配当を払うことで富を創出し、また、銀行から資金を借り入れて企業を拡大するリスクテイカーが富を創出しているのであり、富は借金からができているといえるのである。

つまり経済成長にとって蓄財は悪で、お金を借りることはものすごく善なのである。


お金を借りることは善と述べたが、日銀が銀行から国債を買う=金融緩和ことによって、銀行に貸すお金が有り余っていても、企業が事業を拡大せずに内部留保ばかりを増やして借金しなくなったり、家庭がローンを借りてくれなくなったりしているので、このところは金融緩和の効果が出なくなってしまっており、流動性の罠と呼ばれる状況に陥っている。


しかし、つい先日、日銀は、EUやスイスは既に導入しているものの、これまた禁じ手とも呼ばれるマイナス金利に踏み込み、お金があり余っている銀行は預金者への利子の支払いだけでも大変なのに、日銀に預けているある一定分以上の預金に対して逆に日銀から手数料を取られることになったものだから、こうなると企業に借りてもらうよう必死になるなり、高リスクな運用をして収益を上げる方向に動かざるを得なくなる


国が銀行に圧力をかけて企業にお金を借りさせるように仕向けるのは追い貸しのようで、本来ならば滑稽ともいえるのだが、上手く借り手が増え、借りた企業が上手く付加価値を出せれば景気は上向くのである。

果たして、このマイナス金利が経済にどういう効果を及ぼしていくかは見ものである。

 

国富について

あと、 「『貯蓄=借金』って言うなら本当の財産って何なんだよ?」という意見があるかと思うが、国の正味資産を示す指標として「国富」という指標がある。

ウィキペディアでは以下のように述べられている。

 

国富は再生産可能な生産資産である「在庫」、「有形固定資産(住宅・建物、構築物、機械・設備、耐久消費財など)」、「無形固定資産(コンピュータソフトウェア)」と、「非生産資産(土地、地下資源、漁場など)」を足し合わせたものに「対外純資産」を加減して求められる。
国民総資産から総負債を差し引いたものと同じとなる。
日本の正味資産としての国富は、この10年ほど概ね3,000兆円前後で推移している。

 

国富を形成する金融資産は対外純資産のみを指し、他は先にも述べた通り、金融資産は「貯蓄=借金」なので相殺されることとなる。

そして、特に先進国が得意とする、ノウハウ・技術力・ブランド形成力・プラットフォーム形成力などといった経済力を高める要素は、需要創造に必要となる要素で、かつ、国富の構成要因でもあり、これが強くなればフロー面で優位に立てるためGDP=国の付加価値の総額が高まるのだといえる。

 

もちろん、僕は経済成長と幸福は比例しないと考えている

最後に書いておくが、今回、「経済成長のためには」という問いに対して長々と書いたものの、僕自身は経済成長は必ずしも人間の幸福と比例するとは考えていない。

また、僕はある程度以上の所得よりも労働時間の短さや生活環境の快適さにずっと大きな価値を置いている。

そして、「所有に対する欲望を最小限に制限することで、逆に内的自由を飛躍させる」という逆説的な考え方である「清貧の思想」が美しい考え方だと思っている僕は経済成長にとって邪魔な人間である。



【追記】

今回のことを書くのに色々な本やサイトから得たことから考察して書きましたが、特にのらねこま氏著「金融緩和の天国と地獄:永久に繰り返すバブルの膨張と崩壊 常識に挑戦する経済論」からは特に多くのことを得られました。

なお、のらねこま氏の主張と僕の考えは一致してはいません。

Kindle版ですが、間違いなく300円の価格以上の価値があるので興味ある方は一読を。

 

チベット仏教徒の問答