GOODDAYS

社会全般について思ったことをここでつぶやいてます

夢を追う資格と夢を追う覚悟

会社で一番仲が良かった同僚が会社を辞めた。

会社に友人と呼べる人間は彼一人しかいなかったので、今後、僕にとって会社はよりビジネスのためだけの場になってしまうのだが、彼が去ることが会社にとって損失であるとかそういうことよりも、友人である彼の人生にとって会社を辞めることはどうなのだろうかということばかりを考えてしまう。

僕の会社の業務はものすごくニッチな業務で潰しが効かない。
なので、この業種での転職はかなり難しいと言わざるを得ない。

そして、仕事内容は全く客と会わない完全内勤業務、服装自由で、労働時間は6時間45分と短く(その代わり、無駄口ゼロの超過密の頭脳労働)、残業も少なく(あっても僕の部署は18時半に施錠)、時給換算で考えればだが、給与も申し分ないというか、皆、給与にだけは満足しているというような会社である(中小企業であり大企業ほど高いわけではないので悪しからず)。
なので僕には、会社が大丈夫な間、もしくは資金に長期的なメドがつくまではここを辞めるという選択肢はなかなかとり辛い。
潰しが効かないというリスクを負っているというか、会社が傾いたら、簡単に同業での転職は望めないので(というか、その時はこの業種が社会に必要とされなくなる時だと思う)、バイト同然の仕事をしながら後述するシンプルライフを前倒しで始めると思う。
そして、同じくホワイトな会社に勤めているパートナーが英語とIT業務に長けていて、職業的に潰しが効くのは僕の幸運なところである。

辞めた彼は仕事がかなりできて、この仕事にとても向いていた。
専門性は要求されるものの仕事は単調なのでモチベーションは保ち辛いが僕と同じく彼も仕事そのものは楽しんでやっていた。
責任のある役職で活躍もしていた。

なのに、お金にならないけどやりたいことがあるから辞めるということで、彼は20代半ばからの9年を勤めて30代半ばで辞めた。

「人生ってやりたいことをやることに価値があるんだよな」とは僕も思う。

その蛮勇に心配と羨望が相反する思いでいっぱいである。
これからもちょくちょく会うとは思うけど彼に幸あれと思う。

ここからは別の友人の話。

僕の前の会社(俺はここで4年半しか働いておらず、しかも14年も前に辞めたのだけど)の元同僚の友人も今でも年に数回遊ぶ仲なのだが、少し前に自営でバーをやりたいといって40代半ばで会社を辞めた。
前の会社(調査・マーケティング会社)は今の会社と違ってホワイトとは言い難い会社ではあったが、仕事の楽しさは今の会社の非ではなかった。
彼はその仕事をずっと続けて、責任のある役職で身を粉にしてがんばっていた。
プライベートはグダグダだったが、仕事は真面目だった。

でも、彼もとうとう夢を選んだ。
学生時代はバーテンダーだったらしいし、ずっとやりたがっていることは知っていたから、どうなろうと彼の行く末が楽しみである。

次も別の友人の話。

僕が20代後半の頃の友人でキックボクシングジムで一緒に練習していた営業マンだった2歳上の友人は脱サラして郷里に帰ってキックボクシングジムを開き、今や200人ぐらいの会員がいて、相当儲かっているように見え、前回会った時には400万円以上のロレックス腕時計をしていたので、人生、どう転ぶかはわからない。
今はプロのチャンピオンを輩出する名伯楽となった彼と一緒にキックボクシングの理論を徹底的に考えたがその助けになれたかなと思うとうれしくもある。

まあ、僕も、超シンプルライフを極めて、出るカネを極端に抑えて小屋暮らしをするとパートナーにうそぶいているのだが、いざ、実行へは移せない。

少し前に「LIFE SHIFT」という本を読んだが、我々の世代の寿命はおそらくは100年に達するようになるわけで、人生には100年計画が必要だといったような内容だったのだが、まだ40年、でも40年、勝負に出るのか、やりたいことをやるのか、いろんな人生があっていろんな結末があって先が読めないから人生は残酷でおもしろいのだろうと思う。

そこまでしてやりたいと言い張れることが40年経ってもない僕は、賭けに出る資格はない。

でも、賭けに出る資格があって、覚悟を決めて賭けに出た彼らの人生を見届けることは僕にとってかなりの楽しみである。