30年前に流行ったメトロイドというファミコンゲームの大ボスが「マザーブレイン」という脳と機械だけでできているキャラクターで、子供の頃は「なんて哀れなキャラクターなのだろう」とグロテスクに思っていた。
ところが、この30年間で、モノの豊かさの変化はそれほど起こらなかったにせよ、情報量の変化があまりにすさまじかったため、最近は自分がマザーブレインになっているかのような感覚になることが多い。
それは決してネガティブなものではなく、この上なく贅沢なことであると思っている。
まだ体調万全だから生身でもいいけど、歳をとって体にガタがきたら脳だけになりたい思うことすらある。
「人生に目的はない」と結論づけている僕ではあるが、とにかく欲張りな脳の欲求を満たし続けることに奔走しているのが日々の生活の現実であり、そういう意味では知的好奇心を満たすことが人生の目的にすらなっているわけである。
もちろん、健康・衣食住・睡眠といったベースとなる欲求を満たすことが何より基本ではあるのだが、現代のようにあらゆる情報へのアクセスが極めて容易になってしまった時代には、際限なき脳の知的欲求を満たすことが最大の娯楽になってしまった気がする。
人によって色々と違いはあろうが、少なくとも僕にとってはそうである。
仮に人の欲求を満たす方法を大雑把に以下の①~⑤に分けて考えてみる。
- ①【知る】本・インターネット・旅・会話から知りたいことを知ること。
→知識を自分のなかで体系的に消化・編集・アウトプットすること。 - ②【娯楽】音楽・映画・ゲーム・スポーツなどのコンテンツで純粋な娯楽を楽しむこと。
→食事には生理的な面と娯楽的な面があり、娯楽的な面はこちらに含む。 - ③【物欲】モノやカネで得られる所有欲・安心感を満たすこと。
→将来の金銭的不安の解消など生理的な面も含まれ経済活動の多くを占める。 - ④【交流】人とコミュニケーションを取ること。
→対話やSNSで人と共感し合うこと。 - ⑤【貢献】人に喜ばれること・貢献感を持つこと。
→社会への貢献感や子の成長を喜ぶことなど。
創作活動は①②の要素を持ち、人との会話やSNSは①②④の要素を持ち、投資活動が①~③の要素を持ち、旅が①~④、仕事が①~⑤の全ての要素を持つように、複合的な欲求を満たす行為が多いのだが、個人的には①ほど楽しい娯楽はないと思っている。
⑤こそが人生の目的という人は立派だし、最近だと「嫌われる勇気」に書いてあるようにそう書いてある本も多い。
④が大事でしょという人も多いと思うし、一人で生きられない弱い存在である子供は基本的には本能として④を最重視するが、最近は②に走っちゃってる子供も多いか?
経済活動は③に関わるので、健康と同じくベースとなるものでもあり、GDPなどの指標では③こそが大切とされるのだが、①がなくて③が満たされまくってもそれほど楽しくはないだろう。
③はほどほどでいいから、ひたすら①と②、特に①を追い求め続けるマザーブレインでありたいと思っている僕のような人間は少なくないだろうと思う。
世界には宗教にうつつを抜かしている割合が多いので、それが多数派とまでは言わないが、政治的・宗教的な呪縛から解放されればされるほど人は①②を求めると思う。
西欧人のようにバカンスに行ってひたすら何もしないことを無上の喜びとする人々もいるにはいるようだが、世界的なスマートフォンの爆発的普及を見ても人が①②もしくは④をひたすら求めている結果だろうと思う。
①②こそ、行くところまで行ってしまった社会における最大の娯楽だと思う。
②もそうなのだが、特に①の最大の問題点はその際限のなさと自分自身のスペックのポンコツぶりに尽きるのだが、これが本当に困るところであり楽しいところでもある。