2012年3月14日に勝鬨橋のゴミ拾いの話を書いたが、その続きです。
前は会社から一旦家に帰ってゴミ拾いに出かけていたが、あまりに時間を食うので、最近は自転車のカゴにレジ袋とトングを搭載し、会社帰りにゴミを拾うようになった。
暑くなって、ゴミを拾うペースは落ち気味なのだが、今のところライフワークとして続けている。
僕のように個人でやっても微力だが、中には企業でゴミ拾いに取り組んでおられるところもある。
築地に社を構えるテーブルマークの社員の方々が朝に会社ビル周囲の一帯のゴミ拾いをしてらっしゃるのだ。
そんなテーブルマークさんの商品は買うに決まっている。
テーブルマークのうどん、月に3袋は買ってるからね!
それは昼に一時帰宅して食べる昼飯がほぼ冷凍うどんなためで、まあ、おいしいからというのと、カトキチがテーブルマークに買収される前からずっと買っているだけなんだけど…。
そうそう、関係ないけど、冷凍うどんは湯を沸かしてゆでるより電子レンジでチンするほうがコシが出るという事実を最近発見しました。
別の話だが、その近辺でチェーンの寿司屋さんの店員さんがビラを配ってらっしゃることが多いのだが、ビラを配るよりゴミを拾うほうが絶対に宣伝になると思う。
今は贔屓にしてないけど、もし、社員さんがゴミを拾っていたら僕は贔屓にする。
それと、晴れた日というよりは、雨で誰もいないような日に限ってお客さんが少なくて人手が余っているからだろうか、ビラを配ってらっしゃるが、どうせそんな日には誰もビラなんて受け取らないだろうから、なんか見ていてかわいそうだし、書いてる内容わかっているから受け取ってもしょうがないので受け取らないけど、無視して通り過ぎるのが毎回辛いんだよな…。
マグロを高いカネで競り落として話題にするのもいいけど、僕はそういう小さな部分も見てしまう。
ところで本題だが、ゴミを拾うことはある意味では恐怖との戦いだ。
それは、捨てられているカンに液体が入っていた時に、「この中身を僕が公衆トイレの手洗い場に捨てに行くわけ?」と思う瞬間であり、カンやペットボトルにタバコの吸い殻が入っていた時に「一体、これどうすればいいんだ?」と思う瞬間であり、封をしたまま捨てられたビニール袋の中にどうやら生ごみなどと一緒に缶が入っていることを発見した瞬間であり、ちょっとこれは中身が腐敗しているのではないかと思われる袋を拾った瞬間である。
最近は、粗大ごみ寸前の大きいものとか、落し物かゴミかわからないもののような手がつけられないものは以前にように勝手な使命感は持たずに行政に任せることにして、今は自分で対応が可能なものを拾うことにしている。
手がつけられなかったもので代表的なものは、鳥の死骸や動物の糞などだが、ある時、自分が勤務する会社の前にビニール袋に入った黄色い液体が植え込みに捨てられていたときには、付近には常にタクシーが列を作って休んでいるので、「この中身って…」と思わずにはいられなかった。
プールの中で放尿するどこかの水泳選手ではないが、この液体がそういったものである可能性が高いと思ったので、僕には手をつけることができなかった。
あと、夏になって気づいたことはやたらとアイスの棒のゴミが増えたことだ。
アイスを食べ始める時に袋を店のゴミ箱に捨てずにポケットにしまっておき、食べ終わった後にちゃんと袋に戻すようにすれば、袋を捨てて食べた後に棒だけが残ってどうすればよいかわからなくなって道端にポイッと捨てるというようなことをせずに済むはずなのになあ。