GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

唱歌と「仰げば尊し」と「疾し」

歳をとったせいか、いまどきの邦楽の楽曲の歌詞なんてのは、ほとんど俺の心に入ってこないし、そもそも僕は基本的に歌詞よりメロディー重視だから洋楽にしてもよほど心にしみいる曲でもない限り、歌詞の意味などわからないままの曲ばかりだ。

まあ、正直に言うと最近の邦楽は聴いてないから、探し抜けばいい歌詞の曲もあるのかもしれんが、僕の心にはひっかからない。

むしろ、美空ひばりの代表曲の「○の流れのように」の歌詞を書いた人が最近書くAKBの歌詞が、全く希望していないのにも関わらず、脳内にまとわりついて離れずに苦労することはあるが…。


「その頃から発展しとらんのか!」というわけでもないのだが、やっぱり俺の心に一番入ってくるのは昔からある唱歌の歌詞だ。

恥ずかしい話だが、あまりに歌詞もメロディーもいいものだから、俺は風呂などで旅愁」「早春賦」「おぼろ月夜」「冬景色」…といった曲を一人で感情をこめて歌っていることが多いのだが、かわいそうなのはそれを聞かされるパートナーである。


最悪なのは今は2月だからまだいいけど、僕が季節を問わず「仰げば尊し」を歌うことだろう。

あれはメロディーも秀逸だが、宝石のようにちりばめられた黄金フレーズの数々がたまらない。


ところで、最近、仰げば尊しを卒業式で歌わなくなっているというが、あんな聴くだけで涙がちょちょぎれそうになる心震える名曲を歌わずにその先の長い人生を生きていくなんて不幸すぎ。


その理由が、「我が師の恩」と師に対する恩を強要しているだとか、2番の「身を立て 名を上げ やよ 励めよ」というフレーズが立身出世を強要しているだとか、文語調の歌詞が難解だとかいう、実に後ろ向きで嘆かわしい理由らしいがそのすべてがありえんし、断固わしゃ認めん!


文語調だからこそ、ここまで格調高く心の深淵に神聖に響くのではないか!と俺は声を大にして言いたい!

「今こそ別れめ」の「め」は「む」の已然形でいい具合にハマってるし、ここで効いてるフェルマータの効果はあまりにも絶大!

「やよ忘るな」の「やよ」という威勢の良い呼びかけの声の入ったフレーズに心が引き締まるものではないのかね?と思う。


僕の卒業した学校は国立だったこともあって、ちゃんと2番を歌わせてくれていたから感謝したいが、2番の「身を立て 名を上げ やよ 励めよ」が気に食わないという小さな輩は「ふるさと」も「蛍の光」も歌うべきでない。

もちろん俺は多くの教師に恩など感じとらんし、身を立てる気も名を挙げる気も励む気も全くないが、それとこれとは話は別。


「ふるさと」には「志をはたして いつの日にか 帰らん」というフレーズがあるし、「蛍の光」の3番には「ひとえに尽くせ 国のため」、4番には「千島の奥も 沖縄も 八洲のうちの まもりなり」というフレーズがあるのだ。


ところで、俺が仰げば尊しのフレーズで最も好きで、これだけで飯が3杯は食えると思うぐらい好きで、今しがたパートナーに聞いたところによると通算14回は同じことを熱弁しているというフレーズは…


「思えば いと疾し この年月」の「疾し」である。


風怒濤」の「疾」にして、あの「 徐如 侵掠如 不動如」の「疾」だが、この楽曲における「疾し」は実にさりげなく、それでいてじんわりと重く心に残るではないか!

そして、3番の「忘るる 間ぞなき ゆく年月」につながって、「思えば いと疾し」BUT「忘るる 間ぞなき」という圧巻ともいえる展開を見せ、ここに絶大なシナジーが得られているのだ!


すばらしい!実にすばらしい!僕はこれで飯が5杯は食えるぞ!


※「疾」という字は「やまいだれ」で形成されているが、「速度がはやい」という意味の他に、「病気」「なやむ」「憎む」という意味もあり、非常にネガティブな字なのだが、今回用いた「疾し」は純粋に「はやさ」のみを指すものと解釈し、風流と解釈することを可とした。