GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

スペイン旅行記

 

お気に入りだったスペインに再び

大学生だった12年前にヨーロッパを周遊した際に旅行した際に最後に立ち寄ったのがスペインで、国として最も気にいったのもスペインだった。

都市の存在感としては2年前に再訪したヴェネツィアやパリの印象が強烈に残っていたのだが、スペインには闘牛・フラメンコ・強烈な日差し・荒れ果てた不毛の大地といったステレオタイプながらも鮮烈なイメージの他に、シエスタおよび宵っ張りな生活習慣、他の西ヨーロッパの諸国より安い物価、イタリア人やフランス人より断然に親切な国民性といった要素が絡み合って実に良い印象を抱いていたのだ。

なので、長らくスペインに再訪したいと思っていたのだが、今回はパートナーも6月に夏休みを取れたのでまだ暑くなっていないスペインに行くことにした。

なお、今回は憧れながらも前回に行けなかったアンダルシア地方にも訪れることにした。

 

goo.gl

goo.gl

goo.gl

goo.gl

goo.gl

機中

2010年6月5日 

ヨーロッパ以外を旅行するときはヨーロッパと比べればいかんせん見どころが少ないので、大まかな予定以外にはあまり計画を練らずに現地へ行って、のんびりしながら次にすることを考えればちょうどいい。

しかし、ヨーロッパに行く場合、あまりに見どころが多いし、費用もそれなりにかけて行くし、日没がとんでもなく遅いため長時間外に出ることになり、ゆっくりできる時間はすべて休息に当てたいと思うので、お国柄・文化・歴史などの勉強も兼ねて事前に計画を練る。

計画を練る時期は僕の場合は旅行に申し込む頃の時期で、だいたい旅行の2ヵ月前から1ヵ月前ぐらいにわたってであり、旅行直前になるといったんその知識は薄らぐこととなる。

なので、行きの飛行機ではそれを頭に入れなおしたり、再確認したりして過ごすこととなる。

なお、この旅行の前日までかなりの風邪をひいて弱っていたのだが、出発日には急に元気になった。


マドリッド&トレド

2010年6月5日(続き)

KLMオランダ航空を使ったのでアムステルダムの空港でトランジットするが、スキポール空港はきれいで快適な空港だった。

学生の頃に立ち寄ったモスクワの空港とは大違いだ。

東京からアムステルダムまでの飛行機は大型機だったが、アムステルダムからマドリッドまでの飛行機は小さい飛行機で日本人もほとんど乗っていなかった。

マドリッドに着いたのは22時過ぎだったが、空港から市街中心部まで地下鉄で簡単に行けるのでとても便利であった。

市の中心部であるグラン・ビア駅のすぐ近くのホテルにチェックインしたのだが、繁華街に近いので夜中の24時前後から街の探索に出た。

スペイン人は宵っ張りだし、休前日なのでそんな時間でも街にはウヨウヨと多くの人が歩いていた。

なかでも、「ゴス・ロリ」ではなく「ゴス」の女の子が多かったのが印象的だった。 


2010年6月6日

この日は日曜日なので、お店はあまり開いていないのだが、代わりに「ラストロ」という蚤の市が開いているので出かけた。

蚤の市というのは余程目が肥えていない限り、掘り出し物を見つけるのが難しいものだから、今回も大したものは見つけられなかったのだが、鳥がたくさん売られているのを見たり、人の賑わいを見て楽しんだ。

その後は中心街をうろうろしたり、街の中心にある闘牛のチケット売り場でチケットを買ったりした後に、アトーチャ駅でトレド行きの切符を買い、すぐ隣のソフィア王妃芸術センターに行き、ゲルニカやダリの作品などを鑑賞した。

ゲルニカの実物を初めて見たときにはなんともいえない衝撃を受けたのだが、今回はそういった感覚はなかった。

 

トレドに行くのにAVE(新幹線)に乗って移動したのだが、30分で着くことはわかってはいたけれども、70kmは離れているし、昔はバスで1時間以上かけて行った記憶があったので、かなり近く感じた。

トレドの駅の前から街を周遊する2階建てバスが出てたので迷わず乗って、街をバスで流して概要を把握した。

昔に強烈な日差しと暑さにくらくらになりながら、荒涼としたタホ側の外周を延々と片道40分近く歩いて観に行ったエル・グレコのトレド風景の景観スポットにこのバスがあまりに簡単に連れて行ってくれたものだから、景色の見事さに感嘆しながらも、「10年前にあんな思いをしてこの景色を観に行った俺って…」と複雑な気分にもなった。

でも、あれはあれで今となってはいい思い出となっているので良しとする。

トレドの市街は昔はとても暑かった記憶があったが、まだ6月なので今回はそうではなく、トレドの迷宮のような街を楽しく迷って歩くことができた。

それにしてもこのように坂だらけ、かつ、迷宮のような街を歩くたびに思うのは、「観光資源としてはこの上なく魅力的なものの、実生活において不便ではないのかな?」ということだ。

 

マドリッドに戻ってからすぐに闘牛を観に行ったのだが、今回はたまたま騎馬闘牛の日だったようで、普通の闘牛とは趣向の違って、一人の騎馬闘牛士が一人で三役をこなしながら全ての演技を騎乗から行うというものだった。

前に行った時は空席のほうが多いぐらいだった記憶があるが、今回は超満員で盛り上がりもすごかったので、おそらく珍しいものを見たのだと思うが、この騎馬闘牛士のサーカスでも見ているかのような、もしくは、まるでケンタルウスにでもなったかのように馬の足を自分の足にでもしてるかのような華麗なステップには驚嘆した。

いくら馬術がすごいとはいってもここまで見事に馬を操る人たちはこれまで見たことがなかった。

そういえばウィーンのホーフブルグ(王宮)に最高峰の騎乗技術を見せる施設があり、その施設はスペイン乗馬学校という名の施設なのだが、スペインの乗馬技術というのはそれだけのものがあるということだろうか。

とはいえ、日本、とりわけ我が故郷である宮崎において口蹄疫が渦巻いているこのご時勢、10年前以上に牛の死に対して感傷的になってしまった面もあった。 

 

2010年6月7日

この日は14時にセビーリャに移動するので半日観光となる。

前回来たときに王宮を見られなかったこともあり、午前中は王宮をじっくりと見学したが、この王宮が建てられた頃にはスペインは没落への道をたどっていたように思われるのに、それまで蓄積した富がすごかったのか、とんでもない量の財宝が展示されていた。

その後はウィークデイのマドリッドの街歩きを楽しんだ。

前日は日曜日で店の多くが閉まっていたのだが、普段働いている人は日曜日に店を利用できなくて不便ではないのだろうかと心配になる。

セビーリャに移動する電車は14時発の電車だったが、この時間帯はシエスタの時間帯で街がストップするのでこの時間帯に移動するのが正解だと思ってこの時間帯に移動したのだが、やはりそれは正解だった。


セビーリャ

2010年6月7日(続き)

セビーリャには16時半に到着したが、まだそれでもシエスタの時間は終わっていない。

ホテルにチェックインして街に繰り出した頃にやっと店が開くといった感じであった。

実はセビーリャにはほとんど期待しておらず、「アンダルシアに行くのにグラナダだけというのもなあ…」と思って、心の中ではオマケで行ったようなものだったのだが、これがいい意味で予想を裏切って、どこがいいとは簡単に表現できないものの、街を歩いていてすごく雰囲気を感じるというか、漂う空気感だけで、「アンダルシアに来たなあ…」という感傷が湧いてきて高揚した気分になった。

カテドラルは入るやいなや、というか、入ったときには既に閉まる時間を過ぎていたといった感じだったのでほんの少ししか足を踏み入れることができなかったので残念だったのだが、次に全く期待せずに訪れたアルカサルが翌々日に訪れるアルハンブラ宮殿と同じぐらいにすばらしく感じる場所だった。

もちろん、芸術的な観点や遺産としての価値でいうとアルハンブラ宮殿のほうが断然すごいのだろうが、いろんな時代にいろんな形式で増築されていったこのちぐはぐな構造物になんともいえない魅力を感じた。

また、サンタクルス街というラビリンス的な一角もこれまたヴェネツィアあたりと同じでとても雰囲気があって魅力的な街角になっていたし、本場のフラメンコも実に良かったからセビーリャの街は本当に気にいった。  

 

2010年6月8日

昨夜、相当遅くまで街をふらついていたので、この日はほとんど何もできずに12時の列車でグラナダへ移動した。


グラナダ

2010年6月8日(続き)

グラナダに15時に着いた。

マドリッドからセビーリャはAVEだから2時間半なのに、同じアンダルシア地方内のセビーリャからグラナダへの移動は特急列車でも3時間かかった。

とはいえ、前にも述べたが、14時前から17時半頃の間はシエスタの時間で、14時過ぎからランチが始まる飲食店以外は開いていないし、この時間帯が最も暑いので別に構わない。

15時に着いてホテルにチェックインしてしばらく休んで広場にご飯を食べに行ったらまだランチをやっているというような状況なのだ。

「昼食」を食べて街を散策した後、アルバイシンの丘に上ってアルハンブラ宮殿とシエラネバダ山脈を見たが、この両者の光景は昔から見てみたかった光景なのでなんとも言えない達成感があった。

なお、自分のなかでシエラネバダは雪に覆われているべきものだったので、この季節はまだ雪に覆われていて良かった。

夜にもアルハンブラ宮殿がライトアップされている様子を観に行ったが予想通りに幻想的であった。

この日もフラメンコを鑑賞したのだが、サクロモンテの洞窟タブラオであったのでとても足音が響いて迫力があった。


2010年6月9日

この日の10時30分にアルハンブラ宮殿ナスル朝宮殿に入るように予約していたので、朝から出かけた。

ナスル朝宮殿はアルハンブラ宮殿でも最も美しいと言われる箇所で、混雑を回避するためなのか、事前に予約をとっておかないと入れないので、前もって1ヵ月ほど前にサイトで予約しておいた。

天気が曇りだったのと、ナスル朝宮殿でも最も美しいとされるライオンの庭が工事中だったのと、セビーリャのアルカサルのイスラム建築も相当立派だったこともあって、事前に予想していたほどの感慨はなかったが、美しいことには変わりはなかった。

しかし、偶像崇拝を禁じているイスラム建築というのは気が遠くなるような装飾で表現するしかないのだろうが、それにしても見ているだけで気が遠くなりそうであった。

バルセロナ行きの夜行列車が出発するのは22時で、それまで十分に時間があったので、街を隅々まで見て歩いたというと聞こえが良いが、あまり広い街ではないので、ゆっくり食事したり、カフェでくつろいだりして過ごした。

しかも、泊まったホテルに「チェックアウトせずに夜の21時頃まで部屋を借りたらいくら?」と聞いたら一部屋40ユーロとのことだったので、部屋をキープして、たびたび部屋に休みに帰った。

翌日がパートナーの誕生日だったので、ツアー会社に一人7,000円を追加して払って、4人部屋の寝台から、2人部屋個室でトイレ・シャワーとディナー・アルコールつきの「グランクラス」にグレードアップしていた。

ディナーの質や個室の快適さを考えるとどう考えても正解だったと思うのだが、食堂車で1時間以上かけてゆっくりと食事をする間、数組しか食堂車を利用していなかったので、「大丈夫なのか?」と変な心配をしたが、こういう優雅な列車が走っているのはなんともいいなあと思った。

残念なのはパートナーの誕生日を迎える寸前の23時55分に自分だけ落ちてしまったことである…。 


バルセロナ

2010年6月10日

バルセロナには9時半に着いたが、ホテルにチェックインできるわけではないので荷物を預けて街に繰り出した。

ほどなく小雨が降ってきたので、サン・ジュセッブ市場→ダリ・バルセロナ博物館→カテドラル→サンタ・マリア・ダル・マル教会と室内を見学した。

すると雨が止んできたのでガンガン外を歩き回るべきだったのだが、ゆっくりと昼食を取ったり、ホテルでシエスタをしていたら、16時半頃になってしまった。

とはいえスペインにおいてはこんな時間はまだ真昼なので気にせずにモンジュイックの丘に行き、バルセロナを高台から見下ろした。

気候が絶妙に良かったこともあるが、すばらしい眺めだった。

その後は旧市街に戻ってエル・コルテ・イングレスというデパートで公私にわたる土産を一気に買い込んだ。

ホテルに荷物を置いてからはガイドブックには危険と書いてある旧市街から海辺エリアのほうをあちこち散策して回った。

ロッコ人や黒人と狭い路地ですれ違ったりはしたが、危険だとは思わなかった。

もちろん自分の体格がいいこともあるが、これまで旅してきた場所でなんとなく危険を感じた場所というのはインドのパハル・ガンジぐらいなもので、パハル・ガンジも含めてどの国においても窃盗などの被害に遭ったことはない。


2010年6月11日

一日中どこかを見て回れる日としてはこの日が最終日。

前日は全くその要素はなかったのだが、この日は「ガウディDAY」もしくは「モデルニスモDAY」にして、ガウディやモンタネールといったモデルニスモ建築を見て回った。

この日も午前中は太陽が隠れてしまったのだが、サグラダ・ファミリア教会に着いてしばらく経つと一気に日差しが差してきた。

それだけでも神々しいのだが、この教会に行くのは二度目だったのだけれども、初めて観るのと全くそん色のない驚きと感動があった。

一言で言うと「超カッコいい」ということに尽きる。

他の建築も色々と見て回ったが、やはり、とっても高い入場料を支払って入場するカサ・ミラカサ・バトリョは出色のすばらしさだった。

それにしても、ピカソといい、ダリといい、ガウディといい、どうしてこの国にはこんなに斬新な天才が生まれたのだろうと感嘆せずにはいられない。

モデルニスモ建築で飾られたバルセロナの新市街は、ゴシックで重厚な趣きの旧市街とはまた違った華やかさや解放感があって、散策していてとても心地良かった。 


2010年6月12日

最後の日を帰国だけにあてるというのはとても嫌だったので、旧市街を中心に散策をした。

当初は地下鉄と近郊鉄道を利用して空港に行こうと思ったのだが、タクシーで空港へ向かった。

普段、日本では全くタクシーに乗らないのだが、スペインのタクシーは初乗りも2ユーロ程度だし、その後も安かったので何度もお世話になった。

それにしても、どう考えても日本のタクシーはバカ高い。

「台数が増えすぎただの、収入が安いだのと言う前に、乗る気がしないほど高く、空車ばかりで排気ガスを振りまくだけの日本のタクシーは存在そのものが社会悪」と僕は声を大にして叫ぶ。

ついでに言わせてもらえば、マドリッドからトレドへのAVEも9ユーロだったが、日本で新幹線に70キロ乗って1,000円で済むだろうか。

特に私鉄と比べても飛びぬけて高いJRには、「新幹線や新型車両のくだらん開発などやめて料金を他の先進国並みに下げろや!」と言いたい。

一人当たりのGDPで日本とスペインはそれほど変わらないのだからいい加減にして欲しいものだ。

飛行機は13時30分発だが、空港なので待ち時間があったし、きれいな空港だったので色々と見て回った。

それにしてもスペインを離れるのは悲しい。


機中

2010年6月12日(続き)

アムステルダムに15時50分に到着し、17時40分にアムステルダムを経った。

オランダということもあり、パートナーが庭に撒く植物の種をいくつか買っていた。

なお、ワールドカップが始まったばかりなのだが、なんとなくその種の盛り上がりを感じた。

スペインは前評判が高かったが、まさかこの時にオランダが決勝まで行くとは誰も思っていなかっただろう。 

 

2010年6月13日

飛行機に乗るやいなやというタイミングでパートナーが一気に発熱した。

僕の風邪が伝染したのか、ほっとして気が緩んだのかはわからないが、旅行中でなかったのが不幸中の幸いだった。

測ったら39度以上あったが、飛行機ではひたすら休めるので助かった。

成田空港に11時40分に到着した。

風邪をひいたことが検疫で引っかかったら面倒だったが、機内でもらった解熱剤で熱が下がっていたので大丈夫だった。

インフルエンザではなく、間違いなくただの風邪なのでご勘弁を…。

帰宅したのは14時頃だった。

海外旅行から帰るのはいつも夜になるが、今回はパートナーが風邪をひいたこともあって、結果論として早く帰れて良かった。

 

雑感

気づいたこと

リーマンショック後でユーロ安だったこともあり、物価は日本より安かったと思う。

リーマンショック前のイタリアやフランスは明らかに日本より高く感じたのだが、そういうストレスはなかった。

なお、先述したが、観光客に対する「取れるところから取ってやれ」的な発想は感じず、イタリアやフランスよりずっと人が親切だった。

また、土産物屋の人が全く呼び込みをせず、接していて商売っ気がないのだが、その点にも好感を持った。

あと、失業率が20%超えていて、若者だと40%だというが、普通に歩いている分にはそういうふうには気づかないような感じだった。

発展途上国のようにおっさんが暇そうかつ人にちょっかい出したげに街をふらついていないからだろう。 


旅程と費用

旅程は7泊9日で、費用は飛行機+宿+鉄道のフリープランのツアーにサーチャージだの税だの保険だのといった諸費用を含めて一人22万円程度、現地で使ったのが土産等込みで一人8万円弱だったので、二人で60万円弱であった。

9日間の夏休みヨーロッパ旅行は毎回一人30万円程度で、アジアだとその半額程度に毎度収まる感じである。 


気候など

スペインの夏は暑いというイメージがあったので6月に行ったのだが、これは大正解だった。

湿気がないので気温の割に暑くないし、日陰に行ったら涼しいというすばらしい気候に恵まれた。

時刻は他の西・中央ヨーロッパと同じ時刻を採用しているようで、太陽が最も高い場所に来るのはサマータイムだと14時を過ぎた頃だったように思えた。

だから、6月でも朝の7時頃はまだ薄暗く、その代わりに夜は22時前まで外が明るい。

宵っ張りなスペイン人は夜中まで外で遊んでいるが、日が沈んでから寝るまでの時間はむしろ日本より長くないのではないかとも思った。 


食に関して思ったこと

為替変動抜きにしても物価の高いイタリアやフランスではひもじくなりがちなのだが、こちらではそれなりにいいものを食べられるので、食の満足度はかなり高かった。

ただし、個人的には、一本芯が残っているような固めのパエリアを食べられることを期待していたのだが、パエリアは味は良くても柔らかめのものが多く、その点に関してはちと残念だった。

しかし、芯の残った理想的なリゾットは食べられた。

スペインでは朝食・11時頃の間食(サンドイッチなど)・14時頃の昼食・18時頃のおやつ(スイーツなど)・20時以降の夕食と5回の食事を取ると言われているが、旅人の僕までそれを見習う必要はないものの、良く食べる国民ですな…。

なお、スペインの食事は一の皿・二の皿の二種類で成り立つ(パン・飲み物・デザートは別)ことが多かったが、両方ともかなりのボリュームがある。

また、一の皿を食べるまで二の皿は出てこないようなシステムになっているので必然的に長い時間を使ってゆっくりと食事をすることとなる。