薩摩路
あいにく曇りの天気だったが、宮崎市の実家で車を借りてえびの・霧島方面へ向かった。
こんな時のえびの高原は「やはり…」という感じで、急カーブが続く道が続いているのにも関わらず10メートル先が見えないほど霧がたっていた。
“霧”島なだけにか?
まあ、こんな日なこともあって、他の車がほとんどいなかったため危なさを感じることはなかった。
とはいえ、野生の鹿が道端を歩き回っている地帯があるのだが、その地帯でだけは運転に気をつけた。
「ここから韓国が見える」という意味で名づけられたと言われている韓国岳(からくにだけ)の登山口には賽の河原という硫黄が立ちこめる地帯があるので、車を降りて賽の河原に立ってみたのだが、この霧模様のなかを硫黄が噴出していてなかなかおどろおどろしさが出ていた。
それは霧島温泉郷においても同様で、霧の中で噴煙が立ちこめる様子は圧巻だった。
何故かその日の宿泊先である鹿児島市内のほうまでも、夜は霧がかかっていたため桜島が見えなかったのだが、夜景を楽しみにしていただけにちよっと無念だった。
ところで、夜に天文館で食べたラーメンが美味くなかったのはもっと無念だった。
鹿児島で食べるラーメンというのはいつも郷里の宮崎と比べて値段が高い割においしくなかったという記憶しかない…。
鹿児島へ着いたのは夜だったのだが、市内を徹底的に練り歩いた。
鹿児島の街は昔に来た時より全体的にキレイになっていたように感じた。
最も今風な感じがした通りの名前が「グルメ通り」というレトロな名前だったのはおもしろかった。
前は熊本と鹿児島では熊本のほうがキレイなイメージがあったのだが、今回は全く逆に感じた。
鹿児島市の海辺の地区がかなり開発されていたのもそう感じた要因だったのだろう。
えびの高原は霧で視界不良だったけどドサクサで撮影した鹿
上:城山展望台からの景色
下:鹿児島のシンボル西郷隆盛像
上:城山展望台からの霧がかかった夕景
下:フェリー乗り場
翌日は晴れていたので、朝なので霞がかってはいたものの桜島方面をうっすらと見ることができた。
昨日は国道10号線を錦江湾沿いに南下したが、今度は国道3号線を北上した。
1時間ほど走ると日本海側に出た。
いつも述べることだが、「黒潮」とも呼ばれる太平洋と違い、日本海の海は青い。
阿久根付近の海岸から望む日本海はそれなりに波が激しかったのにも関わらず青かった。
ところで数年前の冬にこの地に来た時は荒れに荒れ狂っていてその日はその日で風情があったのだが、この日の阿久根の海岸もかなりの風情があった。
上:やはり黒潮ではなく日本海だからか青い阿久根の海
下:旅の途中で偶然見つけた変な大根
さらに北上して出水に向かった。
世界最大のツルの飛来地として有名な土地である。
夏をシベリアで過ごしたツルがこの地で冬を過ごし、またシベリアへ帰っていくのである。
私が訪れたこの時期はちょうどツルがシベリアに飛来しようとする時期でもあった。
ツルが真っ白であれば「鶴」という漢字を使いたくもなるが、この地のツルはちょっと残念というか風情を欠くというか、胴体が黒いものしかいなかった。
しかも下の写真のようにものすごく密集しているからカモなどのほうが風情があるようにすら感じた。
出水は世界一のツルの飛来地らしいですが、いくらなんでも密集しすぎ
私も調子に乗ってツルの気持ちに浸ってみました
天草路・熊本
出水から天草へ渡った。
天草へは長島の蔵之元港からフェリーで渡った。
フェリーには待ち時間があったのだが、ちょうど待合室で野球のWBCの準決勝で韓国戦をやっていて、その中でも大量得点をして勝利を決定づけるシーンを見ることができ、溜飲を下げることができたのでかなりラッキーな待ち時間であった。
フェリーは結構豪華な内装だったのにお客はかなり少なかった。
この辺の住民からすれば大切な生活の足なのだろうから仮に赤字だったとしてもそう簡単には撤退できないのだろう。
そんな心配を尻目に快適なクルーズを楽しむことができた。
長島の風景
渡航した天草は牛深あたりの海岸は大河ドラマ「宮本武蔵」の巌流島のロケ地となったぐらいに屈指の透明度と手つかずの自然を残している。
ここから天草西北部まで海岸沿いにサンセットラインが続いているのだが、やはりこの辺は隠れキリシタンや天草四郎時貞ゆかりの歴史を背負っているため、その頃の時代にどうしても想いを馳せてしまい、少しばかり物悲しいような、それでいてさわやかな旅愁を感じた…。
海辺の人気の無い美しい海岸線の存在がなおさらそういった気持ちにさせた。
しかし、天草四郎と聞くと何故か「私は天草四郎の生まれ変わり」と言ってはばからない美輪明宏氏を思い出してしまうのが残念なところである。
小さな集落に残る崎津天主堂や大浦天主堂は周辺に住む信者達の手によって支えられているらしいが、住民の高齢化が進んで大変な面もあるのだそうだ…。
このあたりのキリスト教徒というのは日本でも最も古い歴史を持つキリスト教徒なのだろう…。
そう想いながら教会を見学したのだが、厳粛な気持ちになった。
小さな集落に残る崎津天主堂
上:大浦天主堂
下:その近辺の海岸
本渡から宇土半島のほうまではロザリオラインという天草五橋を最大の見所としたドライブルートが続く。
こちらはサンセットラインと違ってメジャーなドライブルートである。
とはいえ、私が子供の頃かつ、本四連絡橋がある前の時代には天草五橋も圧巻に感じたものだが、本四連絡橋やレインボーブリッジなどの存在を十分に知った大人になって来てみると意外に淡々と過ぎ去ってしまった。
しかし、すばらしいものはその後に待っていた。
次編の「宮崎~わが故郷」にも存在について少しばかり書いたのだが、実在したかどうかは不明なものの4世紀頃に143歳まで生きたとされる景行天皇が九州遠征をされた際に、洗濯岩と干潟模様の美しさに見とれて、しばらくの間、御興(天皇の乗られるかご)を止めて休まれ、それからこのあたりを”御輿来”と呼ぶようになったと伝えられている御輿来(おこしき)海岸の眺めは大変に美しいものであった。
朝に鹿児島を出たのにゆっくり旅していたら熊本市内へ着いたのは夜となってしまった。
とりあえず夜であっても関係はなく、この日も熊本の市街地を練り歩いた。
つい最近姫路城や岡山城を見学したばかりだったし、早く阿蘇に行きたかったので、熊本城は城の周りを車で2周ほどして、水前寺公園へ向かった。
これまた岡山の後楽園や東京の浜離宮庭園に行ったばかりだから驚きもないだろうと思って行ったのだが、確かに規模は小さいものの、後楽園や浜離宮よりも手入れがきちんと行き届いていてとても感心した。
同じ東京でも六義園などは手入れが行き届いていて気持ちが良いのだがそれと同じ感銘を受けた。
また、早朝だったこともあって気持ちの良い時間を過ごすことができた。
しかも私はここの参道で売っている「いきなり団子」が大の好物なのでここぞとばかりにほおばっておいたが、できたてのアツアツだったこともあってとても幸せな気持ちになることができた。
熊本市といえば熊本城と水前寺公園ですな!
阿蘇・やまなみハイウェイ
熊本からこんなに近いところにこんな世界クラスの大自然があるのだから熊本っ子ってのはうらやましい。
阿蘇の伏流水があるため水が美味いのもうらやましい…。
阿蘇のすばらしさは行ったことのある人間であれば誰でも知っているものだからあえて持ち上げるまでもないのだが、それにしてもすばらしかった。
広大なパノラマは広角でもなんでもないカメラに収まりきれるものではない。
阿蘇の外輪山で穴が開いている箇所は熊本市方面のわずかな隙間にのみあるだけで他は完全な外輪山をなしているのがすごい。
「中岳の火口から少しだけガスが出てるな~。でも大丈夫でしょ!」と思いながらロープウェーの乗り場に来てみると「火山ガスのため運休」との張り紙があり、噴火口の中は覗けなかった。
う~む無念也…。
上:噴火口まで行くことができず、この上なく残念がる私
下:草千里の馬たち
草千里は枯れてはいたがそれはそれで情緒があったのではないかと思う。
しかし、駐車場が有料だったのでケチなオイラとしては徐行&ちょっと停車しながら素通りした。
米塚は新緑の時期に見たら最高に美しかったのであろうが、この時期は草が枯れ果てていたため、その時期のものと比べたら少しばかり興をそいだものになったのではないかと思った。
草千里は本当に気持ちの良いところである
外輪山西側から北側に走るミルクロード付近では山焼きをしていた。
これのおかげでこの日の阿蘇の空の透明度が多少は減っていたわけだが、このような光景はめったに見られるものではないのでかなりラッキーであった。
豪快に燃え広がる炎は山を意外に短時間で焼き尽くしていた。
プロが計算して焼いているのだろうが、「風が炎を運んだりした場合、一歩間違うと周囲の山々さえも焼きかねないからプロじゃないと危険なものなのだろうな~」と思いながら見ていた。
山焼きを見た後でミルクロードを走ったが、右手には阿蘇の絶景を、左手にはたくさんの牧場を目にすることができた。
たまに糞臭いところもあったがそんな苦痛は牛や子牛のかわいらしさが吹き飛ばしてくれた。
上:迫力あふれる山焼き
下:外輪山上にある牧場で見かけた牛たち
私のデジカメではパノラマで写真を撮ることができないし、そもそも私の撮った写真などでは全く伝わらないと思うが、阿蘇の外輪山の雄大さは筆舌に尽くしがたいものがある。
南側の熊本高森線や西側のミルクロードから望む阿蘇の景色も美しいが、阿蘇随一と言われる大観峰展望所から見る阿蘇の景色は当然ながら絶景の一言であった。
まさに世界的景観と言うに足る景観である。
外輪山の北方のほうには外輪山の標高と同じままテーブル状に久住高原が広がっているのだが、大観峰から見る北側の光景もすばらしい。
ミルクロードのほうや久住高原のほうから見たら阿蘇の盆地はすり鉢のように見えるわけだが、やまなみハイウエイのほうから走ってきてカルデラを見ると断崖絶壁の底の世界のように見えるからおもしろい。
草千里から見た外輪山
まさに圧巻としか言いようのない大観峰から見た外輪山
大観峰から見た中岳等の山々
ここから少し行ったところから長者原まではこれまた九州を代表する絶景ルートが繰り広がっていた。
「阿蘇とやまなみハイウェイが近いこと自体奇跡に近いな」と思う。
大観峰から見たやまなみハイウェイ方面にはテーブル上の高原が広がっている
「長者原を過ぎて少ししたら風景は大したことなくなる」と親父が言っていたので、最も絶景を拝める長者原を少し過ぎた箇所にある朝日台付近を少し過ぎたあたりで阿蘇方面へ引き返した。
奥日光の戦場ヶ原などと同じで高原特有の物悲しいような色気を強く感じた。
…といいながらも途中で見つけた足湯で和んだ時間を過ごす私であった。
上:久住(くじゅう)・九重(ここのえ)の山々
下:噴煙
長者原から見た絶景
帰りは阿蘇の東側だけ走れていなかったので国道265号を通りながら高千穂方面へ向かった。
これで阿蘇外輪山をほぼ一周したこととなる。
なだらかな山々が広がっていてこれまたすばらしい道だった。
南東側から見る中岳と根子岳の景色は非常に美しい景色であった。
阿蘇から高千穂までは1時間程度で着いた。
高千穂以降については、次編「宮崎~わが故郷」に書いています。