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山陽・瀬戸内(青春18きっぷ旅行⑤)

旅の概要

今回は東北と山陰と山陽のどこを旅行するか悩みに悩んだのだが、山陽以外は大雪で旅行どころではなかったので、ものすごく運が良かった(天気にもめぐまれた)。

ところで、私は日本の47都道府県を制しているのだが、メジャーな街道はほぼすべて制覇してしまっていて、能登半島だとか、紀伊半島南部だとか、三陸だとか、東北の日本海側などといった本当に辺鄙な箇所(失礼!)以外はほとんど一度旅行してしまっている。
その中で山陽道は10年前に行ったきり行っていなかったことと(それは山陰や東北も同じだが…)、山陽道だけは真夏の自転車で旅をしたこともあり(他は冬に電車で旅した)、全くシチュエーションが違うということで、今回は山陽にしようと思った。

特に、山陰の北近畿タンゴ鉄道天橋立城崎温泉鳥取→松江→出雲→津和野→萩といったルートを10年前に旅した時にすごく良かったこともあって、毎年行きたいと思うのだが、このルートへはまたの機会に行くぞ~(笑)。

いい年して貧乏なのと、このスタイルの旅行が好きなこともあって、今回も青春18きっぷを使っての旅行となる(通算でもう5度目になるのね…)。
ただし、今回は3日間しか時間がないこともあり、また目的地が遠いので、行きに関しては距離を稼ぐために深夜バスで一気に広島までワープすることとした(笑)。
帰りはそのまま3日間をかけて各駅停車で東京まで目指した。


旅の感想

バス

東京(新宿)→広島へは3列シートの深夜バス10,100円也で移動。
夜21時から翌朝8時40分までの長旅となる。
座席は140度ぐらいリクライニングするが、何故かあまり寝つけず(とはいえ、いつのまにか熟睡していたのだが…)。
トイレはあったが、非常時以外使わないで欲しいとのことで、高速SAで数回の休憩があった。
 
広島

朝8時台に着いたため非常に寒かったが、天気はものすごく良かった。
県庁前でバスを降り、広島城を横目に眺め、広島市民球場脇を通って、平和記念公園へ行った。
そして、平和記念公園では、原爆ドーム原爆の子の像をじっくりと眺めてから、同公園内にある広島平和記念資料館へ行った。

「原爆をなくそう!」と言って無くなるものではないとわかっているから、この種のかけ声は私の心にあまり響かないのだが、この記念館は原爆の被害の悲惨さや経緯・歴史を後世に伝える役割を果たしているわけで、そういう意味において大変に有意義な時間を過ごすことができた(うらみつらみの展示ばかりということはなく、あらゆる立場から検証されているのも良かった)。

しかし、出口周辺に置かれているノートは、どれを手にとって読んでみても、「あらゆる武器を持つ人間は愚かです!」「どうして平和の大切さがわからないのでしょうか!」「核兵器や武器は絶対NO!平和大好き!」などと、予想通りに思考停止的なコメントばかりであったわけだが、「やっぱり…特に子供はこういうふうに思うわな…」と思った。
今の世の中の情勢をまともに踏まえて、最も現実的に取りうる選択肢は「暴走しかねない独裁者に核兵器を持たせないよう手段を尽くす」という選択肢以外にないだろうに…。

  


原爆ドーム平和記念公園
 
宮島

宮島は日本三景の一つではあるが、砂州の織りなす奇跡的な景観を持つ天橋立と、260余島が織りなす美しい景観を持つ松島と違って、何ゆえに日本三景に数えるのか今ひとつわからない。
350年前の儒学者である林春斎が「日本国事跡考」に、「丹後天橋立陸奥松島、安芸厳島、三処を奇観と為す」と書いたのが日本三景の始まりと言われているらしいのだが、海に浮かぶ厳島神社の美しさと瀬戸内海の織りなす情緒あふれる景観をあわせてそのように認定したのであろうか…。

しかし、そんなことは些事にすぎない。
この島の主人公は実はシカだからである。
人懐っこくはあるが、それよりもあまりにおとなしくて動かないのがおかしくてしょうがない。
偶然、街中のアイドルであるテディーベアカットのプードル様が島に上陸されていたが、シカのほうが余程かわいく思えたのが別の意味でショックであった。

もちろん、推古天皇の時代から歴史があり、平清盛が建立した社殿を現在にまで残しており、世界遺産でも国宝でもある厳島神社が見事なものであったことは言うまでもない。
海に浮かぶ大鳥居・社殿・平舞台(たいらぶたい)・能舞台とも見事としか言いようがなかった。

昔来た時は満潮気味で今回は干潮気味だったが、どちらかといえば満潮気味のほうが美しいようではある。
しかし、干潮は干潮でシカが干上がった干潟の上で寝そべっていておもしろかった。

名物のあなご飯は駅弁の分際で1,400円もしたが、張り込んだだけあってやわらかいアナゴともち米の相性が抜群で、温かいままでも冷えてからも美味しかった。

 
 
厳島神社の情景
 
尾道

中国地方には何故かやたらと城が目につく。
もちろんお城は全国各地にまんべんなくあるものなのだが、山陽路の城は何故か目につきやすい。
有名な城だけでも、広島城福山城備中松山城(高梁城)→岡山城→姫路城とある。

尾道にも駅を降りたところから見える山の上に小さな城がそびえ立っている。
「でも…、尾道城だなんて聞いたことないぞ~」と思っていたら、この城は観光用の偽城らしい。
しかも、現在は廃城というか廃墟になっているのだという…。
なのに、目立ちすぎだっちゅうの!(笑)。

…で、とうとう、今回の旅行のハイライトである尾道にやってきた。
尾道に着くやいなや、5分おきに出航する100円の渡し舟で尾道水道を渡り、向島へ渡った。
向島日立造船所内には映画「男たちの大和」のロケセットとして使われた戦艦大和の実物大模型があったので、閉館間際ではあったが、見学することができた。
「これで上から爆撃されたり魚雷が来たら怖すぎるな~」と思ずにはいられなかった。
造船ドッグも見ることができてとても運が良かった。

  
 
戦艦大和の実物大模型と尾道水道

尾道は瀬戸内海に面した坂と石段の情緒あふれる街である。
そして、坂沿いには寺が数多く存在している。
坂と寺と路地を思う存分練り歩くのがこの街における基本的な楽しみかたである。
「古寺めぐりルート」という推奨散歩ルートを主に歩いた。

大林監督3部作を見たことがある私にとっては映画の舞台の街でもあるが、そんな見方をせずとも普通に映画的な魅力を持った街である。
この魅力ばかりは街を歩いてみてみないとわからないであろう。

坂を登った頂上にある千光寺公園の展望台から、尾道から四国の今治のほうにいたるしまなみ街道の夕景を眺めたが、それはそれは美しいものであった。
東側は東側で夕陽に照らされた街並と尾道大橋新尾道大橋が美しかった。

坂の下の海辺沿いに細長く続く街も昭和をほうふつとさせるような街が広がっていて、独特の情緒が漂っていた。
そして、海辺のさびれた尾道ラーメン屋で尾道ラーメンを食した(しかも、ラーメン屋のオヤジはとことん頑固そうなオヤジであった…)。

 
 
尾道の情景
 
倉敷
朝早く尾道を後にして1時間ほどで倉敷へ。

倉敷といえば駅から南側にほどなく歩いた箇所にある美観地区が有名である(駅の北側にチボリ公園もあるが行ってみたいと思いつつも行ったことがない)。
江戸時代の倉敷天領江戸幕府直轄の領地)または物資の集散地として栄えたわけだが、美観地区は、倉敷川沿いに往時を伝えるなまこ壁の米蔵や屋敷が保存状態の良いままに立ち並ぶ情緒あふれるゾーンである。

朝の美観地区をゆっくりと散歩し、美観地区沿いの和食屋で郷土料理のままかりの寿司や天ぷらなどを食した(ちなみにままかり寿司は美味かった)。

 
倉敷美観地区
 
岡山
倉敷からはわずか15分で岡山に着いた。
岡山城は通称「烏城」と呼ばれる真っ黒なお城だが、この城の城主の歴史はおもしろい。

現在の岡山城を築いたのは宇喜多直家だが、この城はもとは金光宗高の城であった。
謀略家であった直家は城が欲しかったため、宗高を謀って切腹に追い込んだのだが、その際に宗高は「必ずやこの怨みを果たさん」と断末魔の叫びをあげたそうである(ちなみに金光宗高と金光教の関連は調べた限りにおいては見つけられなかった)。

そして、その実子であり、かつ、豊臣秀吉の養子にして秀吉から「秀」の字を受け継いだ宇喜多秀家が、関が原の戦いにおいて当然のごとく西軍についたのだが(しかも秀家は合戦において活躍した…)、合戦後、八丈島に島流しになったため、宇喜多家の支配はわずか2代で終わった。

代わりに岡山城に入城したのは、西軍を裏切り東軍に寝返ったことで日本の歴史を動かしてみせた(?)当時19歳の小早川秀秋だったというのだから皮肉なものである。
しかも、当の小早川秀秋はわずか2年後に狂死したのだが(享年21歳)、秀秋に跡継ぎがいなかったため、池田家が支配した(ちなみに宇喜多秀家のほうは八丈島で50年間も暮らし、83歳まで生きた)。
そして、明治2年まで池田家が藩主を務めたという。

ちなみに国宝だった岡山城は昭和20年の大空襲で消失している。
現在の岡山城は展示用の博物館のようなものにすぎない。

岡山の後楽園は、金沢の兼六園、水戸の偕楽園と並んで、日本三大庭園の一つである(ちなみに私は全てを2回ずつ見学している)。
三大庭園などは江戸時代に大名達がせっせと心血をそそいで作った回遊式庭園なわけだが、回遊式庭園というのはとにかく壮観というかだだっ広い。
私のような庭園の美を論理的に理解する能力のない人間にとって、庭園にはものすごい借景やモニュメントがあったほうがすごいと思えるようではある。
そういう意味で、ものすごいモニュメントを持った金閣寺平等院は強い。
穿った見方をすれば、高層ビル群という借景を持った浜離宮庭園新宿御苑も強い。
ちなみに、日本三大庭園の中で好きな庭園は、私の場合は兼六園である。

余談だが、アメリカの専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」が実施した日本庭園のランキング1位は島根県安来(やすぎ)市にある足立美術館だったようだ(2位は京都の桂離宮)。
「アメリカ人の評価なんぞ知ったことか!」と言いたいところだが、これがなかなかどうして、足立美術館はどう見てもすごそうな気がするから行ってみたい(話が脱線しすぎですね…)。

あと、全く関係ないが、旭川で寒中水泳大会が行われていた。
とても寒い日だったのにな~。
また、市の真ん中にこのような清流が流れているのはうらやましい限りである。

 
上:後楽園 
下:旭川での寒中水泳大会の模様
 
高松

岡山から山陽路をそれてあえて讃岐の国へと渡ったのは、さぬきうどんを食すためと瀬戸大橋を渡るため(2度目だが…)である。
「本当のさぬきうどんは中讃エリアにあり」というが、とりあえず電車に運ばれるがままに高松へ。
高松のどの店が美味いかを調べてから行こうと思ったのだが、この日は日曜日なため、多くの店は閉まっていることがわかっていたこともあって、「適当に行って開いている店でいいや…高松ならどこでも美味かろう…」と思い、街中の適当なセルフの店を3件ハシゴした。
どこもそれぞれ美味かったが、東京の江古田で行きつけにしていたさぬきうどん屋ほどには美味しくなかったのはちと残念ではあった(笑)。
もちっと研究して来るべきであったのか…。

でも、帰りは夕暮れ時だったこともあって(狙ったのだけど…)、瀬戸大橋の上からドンピシャのタイミングで夕陽が沈むさまを見ることができた。
それはそれは印象的で美しい光景でございましたよ!

 
上:瀬戸大橋の橋梁部
下:瀬戸大橋から見た瀬戸内海の夕陽
 
姫路

「見学所要時間1時間半」とあったので、1時間もあれば十分だろうと思っていたのだが、西の丸の渡櫓をぐるっと周り、「い」「ろ」「は」「に」「ほ」「へ」「と」「ち」の各門をくぐったり横目に見てやっと本丸にたどり着くため、そんなにじっくり見ていったわけでもないのだが見学するのに軽く1時間半以上を要した。

別名「白鷺城」と呼ばれることで有名な姫路城は赤松貞範が1346年に築城したのが始まりらしいが、現存する天守閣は1609年に池田輝政によって築かれたものらしい。
姫路城は築城技術が昴揚期を迎えた江戸時代初期に造営された、最も完成度の高い城郭建築で、かつ、多くの建物が築城当時のまま残されている12城郭(うち国宝は4城郭)の弘前城(1611年)・丸岡城(1576年)・松本城(1594年・国宝)・犬山城(1595年・国宝)・彦根城1622年・国宝)・松江城(1611)・備中松山城(1683年)・丸亀城(1660年)・伊予松山城(1854年)・宇和島城(1671年)・高知城(1727年)の中でも圧倒的な存在でもある。

姫路城には軍事的な工夫がものすごくこらされているが、こういった城に限って全く攻められることなく残るものである…。
とはいえ、日本の多くの城はアメリカ軍の空爆によって消失した結果無くなったわけだが…(涙)。

真面目に考えて、姫路城はあらゆる日本の文化財の中でも屈指の価値を持つ文化財なのではないかと強く思う。
それだけの文化的価値と美しさを持った文化財であることは間違いない。

  
 
姫路城の情景
 
神戸

何度も来たことのある神戸では、神戸駅ハーバーランド(モザイク)→ポートタワー・中突堤→元町商店街南京町(中華街)→旧居留地周辺→三宮→北野坂→異人館と練り歩いた。
3時間以上歩きっぱなしだったが、それでもタイトなスケジュールだったため、昼飯はもっぱら南京町にて中華ファストフードをいただく(当然美味!)。

時間がなかったため、今回は異人館に入館しなかったが、横浜市のように市が管理して無料であればもっと良かったであろう気もするのに、全部有料で、しかも私設らしきせいか入場料金が高く、呼び込みっぽい声がかかるのがちょっと興をそいだ気がした。

 
上:明石大橋
下:神戸ポートタワーおよび海洋博物館方面
 
帰途

14時40分に神戸を出発して各駅停車に揺られ、自宅に戻ったのは0時過ぎであった。
JR西日本の列車は二列ごとに全部同じ方向を向いているのだが(しかも、コンパートメントにも可動する)、JR東日本になるとコンパートメントか都会の電車と同じ椅子しかなくてこれは残念であった。
何故か、関が原のあたりだけが吹雪いていた…。

ちなみに、今回の旅費は、交通費と宿泊費を合わせて食事代を別にすると一人25,000円程度の出費で済んだ。