GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

人間は動物なのだから、トップ格闘家は人間の真のエリートともいえる

「格闘技は野蛮だ」という声は本当に多い。

また、「何故、あそこまでしてやるのか?」と思う方も多いであろう。

僕も自分の「努力をする才能」と「ハートの強さ」に自信がなく、大学を出たら就職しようと思っていたから、プロとしてキックボクシングをやろうとは思わなかった。

そして、何より、「動物・人間」としての強さが自分にそこまであるとは思えなかった。

 

だから、それを続けようと思うモチベーション・肉体的強さ・卓越した技術を持つ格闘技界で活躍する選手のことを僕は心からリスペクトしている。

最も層が厚いなかで栄光を手にしている世界クラスのボクサー、K-1トップファイター、人類として最も強いことを証明しているPRIDEやUFC修斗のトップ選手…どの選手も同じく尊敬している。

なかでも、僕にとって、同じ競技・同じ階級のトップに君臨するK-1 WORLD MAXあたりに出てくるキックボクサーのことはちょっと他とは違う観点でも尊敬している。

 

昨日も触れたが、ボクサーの田中選手が亡くなられたように、度々選手の方が亡くなられることもあって、「ボクシング=ものすごく危険」という認識が世間にはあるように思えるが、実は、ボクシングよりも危険なスポーツはいくらでもある。

 

あたりまえのことだが、人間が監視をし、非力な人間に立ち向かうスポーツより、自然もしくは超自然界の力に立ち向かうスポーツのほうが何倍も危険である。

ロッククライミング・中高年層にも人気のある登山・マリンスポーツ…などにおける死亡事故数はボクシングの比ではあるまい。

また、モータースポーツの危険性は他のスポーツの比ではあるまい。

 

また、脳神経外科的観点で脳に悪いスポーツといえば、アメフトやラグビーは格闘技より危険だというぐらいで、マウスピース会社の社長さんのお話を聞いても、「格闘技のマウスピースは一度作れば長いこと大丈夫だが、これらのスポーツはマウスピースの消耗が激しいからすぐに作り換えないといけない」とのことである。

しかし、相撲以外の格闘技では頭と頭がぶつかることはないが、これらのスポーツではそれが日常茶飯なのでそれだけ危険性も高いのである。

 

どんなに文明が進もうと、男という生き物は自分の腕っぷしやケンカ的なガッツの強さを誇示したくなる生き物だとは僕は思う。

 

「文明的」という観念によって去勢されてしまったようになり、動物本来の持つ野性的なものを失っている人間がその本能を取り戻せる場が格闘技なのだろうと思うのだ。

それはやるほう・観るほうにとって同様である。

 

人間界においては文明が発展するにつれ、理屈をこねる小利口な人間が幅を利かせるようになったが、そもそも動物界はそんな世界ではない。

異種・同種を問わず、肉体、特にケンカが強いものこそが幅を利かせるのが自然の摂理であり、問題があれば暴力で解決する世界なのである。

ちなみに、僕が人間が作った宗教や神といった存在をあまり信じないのにはそのあたりに理由がある。

 

その原理のことを文明側に立った人間は「野蛮」と呼ぶが、その対極にある「文明」は、家畜というもっと野蛮なものを作ってしまっているともいえる。

生身の殺し合いはするが不必要な殺戮をしない動物と、家畜を屠殺し食料に加工した挙句、「ちょっと賞味期限がきたから…」といって、「客が残したから…」といって、ものすごい量を残飯にしてしまう人間とどっちが野蛮なのかわかったものではない。

 

「弱肉強食」より「焼肉定食」のほうが数段野蛮であるとも言えるのだ。

「格闘技なんて野蛮よ!とのたまう婦女子は一切飯を残すな!」と言ってやりたい…。

 

人間のオスは、遺伝子のどこかで動物界の摂理がわかっているはずなので、格闘技をすること・観ることに興奮するようにできているはずである。

格闘技やケンカに興奮しないオスは、もはや去勢されたオス、もしくは動物として必要な本能を失った弱いオスだと言ってしまっては言いすぎであろうか?

 

そして、個人的感想を言うと、ボクシングをはじめとする格闘技は他のスポーツよりやってみて断然おもしろいというのも事実である。

それは「上達=動物としての価値向上」と勝手に自分で思えるからだと思う。

それに、あの独特のアドレナリンはケンカと格闘技以外ではそうそう湧くものではない。

 

僕の場合、仮に、「努力をする才能」と「ハートの強さ」に対する自信があったならば、おそらく格闘技を続けたであろう。

格闘技の頂点という地位には、他のスポーツの頂点とは違った、お金では買えない栄光があると僕は信じたい。

でなければ、その競技で積み上げたものを台無しにするリスクを犯してまで、他の競技から格闘技界に転向する選手が相次ぐワケがない。

また、「○○のボクシング」という言葉がよく使われるが、それはボクシングに対するリスペクトからくる言葉なのではないだろうか。

 

ちなみに、ボクサーは3連敗ぐらいすると引退勧告がなされる。

その中で残っているのは、本当に負けん気・ハートが強く、腕っぷしに自信があって、野性的な獰猛さを持った「動物・人間」としての真のエリート達なのである。

だからこそ、あれだけのド迫力を漂わせているのであり、ああいったビッグマウスを口にできるのもその人間としての生命の太さゆえなのだと思う。

もちろん、一見温和に見える人も獰猛な部分を併せ持っているから格闘技ができるわけで、その本質には大した違いはない。

 

街中でケンカしたときに湧き出てくるアドレナリンの感覚がわかるのであれば、それを日常茶飯に体験している格闘家のすごさもわかってくるというものであろう。

人間は動物なのだから、そういった獰猛な人間がいても、彼らが尊敬されてもいいのではないだろうか…。