GOODDAYS

社会全般について思ったことをここでつぶやいてます

西ヨーロッパ④ モナコ・フランス・スペイン

フランス(再)

ニース 半日間

列車では明治大生の4年生2人組とずっと話しながら来た。
この世の天国ともいえるコートダジュール(紺碧海岸)を左の車窓に眺めながら、ニースへは10時半に着いた。


食事をとって、早速、トップレスで有名なニースの海岸へ本当にトップレスの姉ちゃんがいるのかをチェックしに行った…(笑)。
確かにトップレスの人はたくさんいたが、パッと見たところ、ばあさんばかりで嫌気がさしたので、ちょっとはマシなのを探して(冗談だが)玉砂利の海岸を横に歩いた。
碧い海、碧い空、美しい景色、そしてトップレス…すばらしい風景で気分もいやおうおなしに開放的になる。

 
まさしく紺碧のコートダジュール


 
ニースの玉砂利の海岸

すぐに深くなるのが欠点だが、碧々とした海で泳いだらすごく気持ち良かった。
砂ではなく、玉砂利なので波打ち際に寝転がっていると気持ち良くていつまでもそのまま横になっていたい気持ちになった。

16時にすぐ近くの国、モナコへ向かう。


モナコ

モナコ 半日間

ニースから列車でわずか20分ほどイタリア側に戻ったところにモナコ公国はある。
まるで渋谷・池袋間か!(笑)。

モナコ公国は世界で2番目に小さな国である。


モナコ公国遠景


 
ニース同様にモナコにも世界中の金持ちが集う

わざわざ持ってきたネクタイをしてシャツを着てカジノに行ったのに、東洋人は若く見えるのと、あと1歳(あと3ヵ月…)足りなかったせいで、結局カジノには入れなかった…。

 F1コースで見覚えのあるシケインなどをとぼとぼと歩いて街内(国内)散策楽しんだ。

22時過ぎの夜行列車でスペインへ。


スペイン

バルセロナ 1日間


夜行列車で真夜中のコートダジュールを疾走し(景色見たかった!)、スペイン第2の都市にしてカタルーニャ地方の中心都市であるバルセロナを目指す…。

まだ眠い中、朝6時半に国境で降ろされ、別の列車に乗り換えるべく待っていたら、4年前に2年半日本に住んでいたという韓国人女性に声をかけられた。
バルセロナに着くまでずっと話をしながら来たのだが、日本語がペラペラで、日本語で考えることもできるというからすごいと思った。
スペインの大地に昇る美しい朝日を眺めながら、国の話や世間話に花を咲かせたり、桃だのクッキーだのといった食べ物をすすめられるがままに食べたりしながら、バルセロナへと向かった。

バルセロナのサンツ駅へは10時半に到着した。

街歩きを楽しみながら、最大の目的地であるサクラダファミリア教会へ行った。
ガウディーの建築が斬新なことは知っていたが、近くで像の表情などを見て、「ここまで斬新だとは思わなかった…」と強く感心した。

 
上:完成まではまだまだ時間のかかるザクラダファミリア教会
下:バルセロナの景色
 

この「新バロック式」の教会はもう100年以上も作っているのに、完成までにあと100年はかかるとのことだが、「今の人が今の技術を駆使して作ってもそれぐらいの時間がかかるのか…」と思った。
なので、年中から年中工事中なのだが、製作過程がわかるようになっていてものすごく勉強になった。
下の工房で彫像を作っていて、完成して教会に取りつけていくことなどもわかった(まあ、あたりまえのことなのだが…)。

  
ここの彫像のデザインはキリスト教会のものとは思えないほど斬新である

その後は、ゴシック地区(旧市街)へ行った。

そろそろゴシック教会には飽きてきていたのだが、ここのカテドラルはパイプオルガンがなっていたし、南国チックな感じがしてかなり新鮮だった。
 
バルセロナの街は明るく清潔で近代的な感じがする。
地下鉄もものすごくキレイで、ホームにはすごくいい感じのリスニングミュージックが鳴っていて、そのナイスアイデアぶりにすごく感動した。

ところで、スペイン語で「こんにちわ」のことを「Hora(オラ)」と言うのだが、やはり人から「オラオラ」と言われるのにはなかなか慣れるものではない(笑)。
イタリアが「チャオ!」だっただけにその落差は激しかった(笑)。

夕方には、バルセロナムーランルージュである「エルモリノ」というストリップ劇場へ足を運んだ(料金は1,500円程度)。
中央通路沿いで前から2番目(一番前はあえて避けた…)というすばらしいポジションをキープした(このことが後にひびくのだが…)。
ストリップというからバリバリのストリップかと思っていたら、そうでもなかった(そういう意味では期待を裏切られたか…!)。
客層の多くは老夫婦だったぐらいだからなごんだ雰囲気が醸し出されていた。

ショーが始まると、5人ぐらいの女性が出てきて乳をかきだして踊ってたかと思えば、コントが始まったり(もちろんスペイン語なので雰囲気でしか楽しめませんが…)、いきなり、歌手の女性が「マイウエイ」を歌いだしたりした。

すると、ステージの女性が私に対していきなりステージに上がるように言ってきた。
えっ、と驚きつつもステージに上がると、スペイン語で変なことらしい言葉を言わされたり、変な衣装を着せられたりして客の爆笑を買った。
しかも、ステージの女性は変な日本語に限ってたくさん知っていた。

また、ステージを見ていると、もう一回呼ばれ、変な冠とスカートを着せられて、女の人とダンスをさせられて、これまた客の爆笑を買った。

これらの爆笑は別に黄色人種に対する嘲笑的な笑いでは全くなく、異国の日本人青年に対するものすごく温かな笑いだったのですごく楽しく、良い経験をしたと思った。

ショー全体は、しなやかで柔らかい身体かつきわどい格好をした女性達によるダンス、そして、カッコイイ(何故かものすごくカッコイイ)男の人のフルヌードなど充実した内容(?)だった。

 
上:カテドラル
:ストリップ劇を楽しんだエルモリノ劇場

マドリッド方面へはまた夜行で移動した。
 3日連続の夜行でそろそろ疲れてきた頃である…。
夜行列車の中でフランクフルトで飲んだクラバーの男性と会った。
イビサ島のトランス音楽か何かのラリった祭に行ってきたらしい…(笑)。

トレド 1日間

マドリッド駅に着いてから街へは降りず、すぐにトレドへ旅立った。
とはいえ、わずか1時間20分でトレドには到着した。

トレドはスペイン人にとって、日本人にとっての京都のような街だという。
西ゴート王国時代から1561年にマドリッドに遷都されるまでの約1000年間もの間、スペインにおいてほぼ首都としてあり続けた。
とはいえ、そのうち4世紀間はイスラム勢力に征服されていたのでその影響を強く受けているのだが、イスラム勢力下においても繁栄を極めた。
現在は人口6万人の小さな街である。

また、カスティーリャの荒れるだけ荒れ果てた台地に突如として浮かぶエルグレコの「トレド風景」で有名な街でもある。

「トレド風景」は遠方からの街の眺めだが、まず、街の中に入り込むことにした。

街やアルカサルやカテドラル自体を見て歩くが目も肥えてきたのか、あまり大したことがなかったので、「こんなものか…」と思いつつ路地に入っていったら完全に人気がなくなり、そこで生活している人の生活音しか聞こえなくなるのだが、そこにただずむと、まるでヴェネツィアにいるときのような静寂につつまれとても心地良い気分に浸ることができた。
しかし、これまたヴェネツィアと同じくラビリンス的な構造になっていたので迷った(笑)。


 
上:トレドはラビリンスだ
下:荒涼とした大地


エル・グレコが心酔した美しいトレド風景

川に三方を囲まれたトレドだが、どうしてもトレド風景の景色を生で見たくなって、川の外側を直射日光が射すなかひたすら数十分歩き続けた。
ピレネーを越えたらそこはアフリカ」と言ったナポレオンの言葉ではないが、どこまでも荒れるだけ荒れ果て乾ききった岩山を歩き続けた先に見えたトレド風景はまさしく絶景であった。
カスティーリャの荒涼とした大地に島のように浮かぶこの美しい街にただただ心を強く打たれた。

夕方に、今回の旅行で最後の訪問地となるマドリッドへと向かった。

マドリッド 2日間

スペインの首都にして今回の旅の最後の訪問地は、闘牛とフラメンコを見て帰らなければモグリといわれかねないほど、それらが圧倒的な存在感を放つマドリッドである。

ホテルはすぐに決まったので、早速外出をした。
マドリッドは街自体が昼寝好きの夜更かし屋なものだから昼の買い物には困らせられるが、夜は長くて楽しい。

有名なマヨール広場で大道芸人が奏でる美しい音楽を聴きながら、広場のレストランでパエリアなどを食したがこの上なくいい気分になった。
パエリアは多少高かったが、本格的なものでそこそこ美味しかった。

マドリッドは夜のほうが元気があるが、昼は闘牛を見るも良し、数多の美術館を回るも良しでもちろん楽しめる。

午前中から15時ぐらいまでは心行くまでマドリッドの街を散策したが、昼過ぎになって店などが閉まってきたので、地元の流儀にならって宿に戻ってシエスタ(昼寝)としゃれこむことにした。

夕方に起きて、世界3大美術館の一つであるプラド美術館にも行こうと思ったのだが、ルーブル美術館と同じで恐ろしく広そうだったのと、ピカソの「ゲルニカ」を見たかったので、ソフィア王女現代芸術センターのほうへ行った。

現代美術を扱った美術館なので「芸術」というより「アート」と呼びたくなるような絵が多かった。
ハッキリ言って「わけわからん」と言いたくなる作品も多く、それらはおもしろくはあるが、理解不能でもあった。
そんな中でピカソの絵を見て回ると余計に混乱した(笑)。
しかし、ダリの絵にはかなり惹きつけられるものがあった。
そして、「ゲルニカ」については、思わずかなり長い時間見つめてしまったが、「最後の審判」を見たときのような衝撃は受けなかった。

23時に「モレーリア」というかなり有名なタブラオ(食事をしながらフラメンコを観るお店)へ行った。
フラメンコとはどれほどのものかいな?と思いながら高い入場料(4,000円近くした記憶がある)を支払って観に行ったのだが、それが衝撃的なまでに情熱的なダンスだった。

フラメンコというのは誰がやってもそういうものなのか、本場の一流のダンサーだったからこんなにまですごいのかはわからないが、ダンサーの表情はもとより、ステップの速さはもっとすごかった。
「ダンサーってものすごい体力の持ち主なのね…」と強く思った。
歌を歌う男が1人、ギター弾きが2人、ダンサーは女性5名・男性2名というメンバーでかわるがわる延々と踊り続けていた。

お客には意外に日本人が多かったが、「それにしても、どの国に行ってもどこにいても日本人いうのはなんてアクティヴな人たちなんだろう…」とほとほと感心する。

このような感じで、フラメンコはずっと続くのだが、見ていても意外に飽きない。
 1時過ぎ頃に最も盛り上がりをみせ、2時頃になると人が帰りはじめた。
私も翌日のことがあるので名残惜しかったが2時半頃にタブラオを後にした。

 
上:有名なタブラオでフラメンコ鑑賞(セクシーなお兄さんに注目!)
下:王宮


前の日に寝たのが3時半なのに10時には出発した。
どうせ、途中でシエスタするから多少睡眠不足でも構わないのだ(笑)。
まずは週末ののみの市ラストロへ行った。
ものすごい規模と人だかりに驚いたが、この日が実質的に最後の日だったので安っぽいものの買い物にいそしんだ。

闘牛

シエスタをした後はお楽しみかつこの旅の最後のイベントである闘牛鑑賞へ行った。

行ったのは500以上ある闘牛場の中で最も権威の高い闘牛場であるラス・ベンタス競技場(23,000人収容)である。
ムエタイで言えば、ラジャダムナン・スタジアムルンピニー・スタジアムみたいなものであろう(例え方が微妙?)。
なお、闘牛は春から夏の週末に行われるという。

闘牛のことを「ソル・イ・ソンブラ(光と影)」というのだが、その理由は見たものには良くわかる。
これは余談だが、ソル(日なた)と、途中から日陰になるソル・イ・ソンブラ(日なたと日陰)と、ソンブラ(日陰)では席の値段が全くちがって、日なたより日陰のほうが2倍以上も高い。
日陰にはマドリッドの強烈な日差しが当たらず、そして見やすいからだろう(しかも、春から夏なので暑い…)。
また、スポンサーや紳士はソンブラで、庶民はソルで見るという意味合いもあるようで、闘牛はソンブラ寄りで行われるようだ。
私はソル・イ・ソンブラの席を陣取った。

まず、言っておきたいのは、闘牛というものは確かにものすごく残酷なものだが、人を強く興奮させるだけのものがあるということであろう(間違ってもヒンドゥー教徒にはオススメできかねるが…)。
ちょっと長いが、その流れについてこれから述べることとする。

闘牛士にはピカドールやパンデリリェロと真打ちともいえるマタドールがいる。
闘牛士はスペインに5,000人、その中でマタドールは350人ほどいるという。
闘牛では3組の闘牛士が2頭ずつの牛と闘うので、計6回の闘牛を見ることができる。
牛は2歳の雌牛から生まれた雄牛から気の荒さなどで厳選された雄牛を隔離し、ハングリーさを養うために餌も満腹までは食べさせずに育て、500キログラム前後で4~5歳の牛を、真っ暗な箱に入れて運んで闘牛場に解き放つという。

ファンファーレと共に闘牛士が入場して闘牛場を一周した後に、ゲートが開いて牛が出てくるのだが牛は何が起こったかわかっていない様子であたりを歩きだす。
すると、ピンクの布を持ってあでやかな衣装に身をまとったマタドールがヒラヒラと布をなびかせると、そちらへ向かって突進しだす。
牛は色盲なので実は赤を識別しているのではなく、真っ暗な中から解き放たれた直後でパニック状態になっているため、ヒラヒラと動くものを敵だと思って突進するのだそうである。

もちろん、闘牛士は直前で布をかわすので、牛はそこを走り抜けるのだが、そういったことを繰り返しながら牛のクセをさぐるのだという。

その後、おびえないように目隠しをされ、かつ、防具で固められた馬に乗って、闘牛場の端っこにいるピカドールが長さ2.5メートルの長槍で首元をぐさりと一突きする。
牛は目隠しをされた馬に体当たりしたりされるのだが、馬も何がなんだかわからず、たまったものではないだろう(笑)。
なお、槍を外したり、牛を弱らせすぎたりするとブーイングが起こるらしい。

その後は、3人のパンデリリェロが正面から牛の背中に2本ずつ、計6本の“もり”を突き刺していく。
突き刺したもりが落ちたりするとブーイングが起こるらしい。
もう、この頃になると牛はドバドバと血を流していて、かなり弱ってくるのだが、弱りつつも、ささったもりをふるい落とそうとするのか、突き刺されて気が動転するのか、これによって、牛は逆に奮い立つようである。

このように満を持すと、場を盛り上げる金管楽器の演奏の中、拍手喝さいを浴びて、マタドールが登場する。
マタドールは、弱りきった牛を相手に10~15分間ぐらい、限界まで牛を自分の身に近づけながらギリギリのところで牛をかわして、その勇気を客に誇示しつつ牛を弱らせていく(弱っていくという表現のほうが正しいのだが…)。

そして、弱りきった頃に、肩甲骨の近くの5センチほどの急所を狙って、牛を一突きで殺す。
急所を突かれた牛は一瞬で前足からドドーンとして崩れ落ちるように倒れる。
あまりに残酷で、しかし、この上なく鮮やかな一瞬である。
そして、誇らしげな闘牛士はこの上なくカッコ良い。

 
ベンタス闘牛場

 
下:パンデリリェロ

 
とどめを刺す

 
闘牛にとどめを刺すと拍手喝采

一発でとどめをさせずに、何度も突き刺してとどめをさしたりすると、容赦のないブーイングが起こる。
また、毎回成功するわけではなく、途中で牛に突き飛ばされて大ケガを負うマタドールもおり、中には命まで奪われてしまうマタドールもいるわけだから、言うまでもないが、マタドールは命がけである。
ちなみに、私が見た時も、大ケガはしないまでも、突き飛ばされ、その後、手負いの身体をふりしぼって牛に立ち向かったマタドールがいた。

1回でとどめをさし、一突きで剣の根本までささると良い判定が出る。
中には、背中に一突きした剣が見事に牛の心臓をえぐって、牛の口からドバドバとものすごい量の血が流れ出す場面もある。
良い判定が出ると牛の耳をもらって拍手喝さいの中、場内を一周する。
この闘牛場に立つことが既に闘牛士にとっては名誉なことなのだから、ここで牛の耳をもらえるということはマタドールにとってとてつもなく名誉なことなのだ。
ちなみに、私が見たときは2回目と5回目、すなわち同一のマタドールが牛の耳をもらっていた。

成功したときの熱狂的な声援を光とすると、死んでしまった牛は影、成功をして喝采を浴びる闘牛士を光とすれば、仕留めるのに失敗をして大ケガを負う闘牛士は影、そして、生を光とすれば死は影といえ、この強烈な対比がスペインのような日差しが強烈で乾ききった不毛の地には良く似合うように思った。
間違っても、八百万の神が住み、豊葦原の瑞穂の国で五穀豊穣の地である日本には似合わないだろう。

しかし、牛の習性を利用して牛をおちょくって、痛めつけて殺すという行為は野蛮なものだが、人間自身が野蛮な生き物なのだから、菜食主義者でもない限り、それをことさらに主張するべきではないのであろう。
だが、スペインの中にも闘牛に反対する人は多いのだそうな…。

牛のコンディションやクセの見定め方、闘牛士の技術などについても見方が分かれば、闘牛はかなり奥深のではないかとも思った。
もっとも、そうでなかったら、こんなに多くの競技場があって、こんなに多くの人が集まるわけがないのだが…。
なお、殺された牛はちゃんと食用に供されるらしく、普通の牛肉よりも高い値段で売れるとのことである(ちょっと安心…)。

 2時間半にわたって繰り広げられた闘牛を見た後、21時に宿に戻った。


機中・帰途

再びモスクワ トランジット

闘牛を見た翌日の朝7時に起きて、マドリッド・ハラハス空港に向かった。
 1ヵ月にわたるヨーロッパ滞在を終え、とうとう日本に帰るためである。
日本のことが恋しくも名残惜しいまま空港へと向かった。

 
シベリア上空
空港でみやげ物をちょこちょこと買って飛行機へ乗り込んだ。
11時半(日本時間の18時半)に離陸し、23時20分(ここからは日本時間)にモスクワに着いてトランスファー(乗り換え)し、0時20分に再び離陸した。
隣に座った26歳のフリーターで世界各国を旅している人と成田に着くまで10時間ぐらいずっと話をした。
シベリアの上空に昇る朝日がとてつもなく美しかった。
朝の10時に成田に着陸し、12時40分に東京・五反田の家に着いた。


全体の所感

ヨーロッパでは、日本とは比べるまでもなく美しき街並みを数多く目のあたりにした。
それらは「文化に優劣はない」といった文化相対主義の言うところの情緒的な言葉が「いかに言葉だけが一人歩きをしている勝手な言葉」であるかについてまざまざと教えてくれる。
仮に京都や江戸の伝統的な街並みが現在の日本にそのまま残っていたとしても、あくまで世界の中ではローカルな文化としか存在しえず(もちろん、ローカル文化で好きな文化はいくつもある。また、私は日本人だし、日本文化は大好きである)、ギリシャ=ローマ文化を祖とする偉大なヨーロッパ文化に対し真っ向から立ち向かうスタンダードな文化にはなり得なかったであろうということを身をもって教えられた。
それを考えるとむしろ、それに唯一対抗できているのは、皮肉なことにヨーロッパ文化を祖とし、それとともに世界を席巻している現代アメリカ文化であって、クラシック音楽やフランス料理に対峙するポピュラー音楽やハンバーガーである。

また、アメリカ人や日本人とともにより文明的であると思ってきたヨーロッパ人が実は、自分たちの文化を世界に冠たる文化と信じ、かつそれをかたくなに守ろうとする意思の強さと世界最高ともいえる保守性をもった人々であることを強烈に知った。
それとともに、日本の街並みにおいて美しさというものを論じることが自体が悲しくなった。
「良いではないか…、世界にはこんなに美しき街並みを持つ地域があるのだから」と半ば諦めに似た感情を抱いた。
どんなに日本人の体格が良くなろうとも、スポーツでは黒人や白人にはなかなかかなわないことや、「黒人の3歳の児童に白人と黒人の写真を見せてどちらが美しいかたずねるとほとんどが白人を指差す」といったような事例を持ち出すまでもなく、絢爛たるヨーロッパ文明を素直に認める気になった。

しかし、ヨーロッパを旅することによって気づく日本が世界に誇ることのできる点もある。
簡単なことから挙げると、店員の態度は断然日本のほうが良いし(店員同士のおしゃべりがひどい)、食べ物も太りやすいものが多く、バリエーションも少なく、大衆が食べているものは平均すると日本のほうが間違いなく美味しい。

そして、何より、日本には、「恐ろしく便利で痒いところに手の届く、世界一コンビニエンスな生活環境」と「世界一お人よしな国民性」と「世界に冠たる右に習え根性」がある!
日本が世界に誇るべき点はまさしくこの3つである。

ヨーロッパを旅することによって、このことを発見したこともまた大きな収穫になった(この3つは外に行かないと絶対にわからないと思う。また、東京ほどの大都会は世界にはないとも断言できる)。
「世界を見ると世界のこともわかるが、日本のことも良くわかる」とは良く言うがまさしくその通りである。