GOODDAYS

  世の中の歪みをかいくぐってひたすら逆張りの人生を歩む俺の意見

北陸・山陰(青春18きっぷ旅行①)

 

1日目 1996年12月25日

記録によるとクリスマスイブに男2人女2人でカラオケでオールした後、一人で5時20分に東京を出たようである。

帰省がてら、憧れだった青春18きっぷの旅へ。

 

ありえないタフさだ…若いってすごいね…。

なお、この文章は当時の日記をもとに10年後の30歳時に起こしたものである。

8時3分に前橋着で9時48分まで前橋を散策した模様。



冬の前橋駅前っすな…関係ないけど群馬県庁は異様に豪華です
 

その後は高崎を1時間半、軽井沢を2時間弱散策したようだが、冬の軽井沢ほどさびしい場所もあるまい…。

実際に記録にもそのように記されている。


その後は14時40分に上田着。

JR在来線で碓氷峠を越えられる時代だなんていい時代ですな…。

でも、だるま弁当は食べているくせに峠の釜飯を食べた記録はないようでちょっと色気に欠けますな…。
 

真田幸村の里である上田では上田城周辺を1時間半程度散策。

冬の初めの夕方だけに写真からもなんともいえない初冬の季節感を感じますなあ…。

電車の時間がないので別所温泉とかにつかる暇はなかったのだが、上田が第二の故郷になると知るのは10年後のさらに後の話(←この部分は後年にさらに追記)。



上田城…この頃は羽田孜さんを中心に日本の政治が回っておりました…


この日は長野に泊まったようですが、夜の長野市内を3時間も歩いた模様。

タフですな…。

っていうか、この日は試合の1週間後だったのですが、手帳に記されている食べた量がちょっとハンパじゃない。

いちごチュロッキー×2・ドーナツ×2・蒸パン・デニッシュ・ケーキパン・ケーキ・ピザ・ハンバーガー・ピタサンド・カツカレー・だるま弁当・おでん(すじ肉・卵・大根)・あずき最中アイス×2・ハイチュウ・ココア・ウーロン茶・ハチミツレモン他


とあるが、昔はこれぐらいは食べていたような気もする。

いや、それはないな…これだと家計が持たん。

しかも「他」ってなんだ!

「わずか1週間で9キロ増の75kg(驚)」と書いてあるが、今は78kgなので、この頃の食べすぎに対してある意味何も言えまへん…。

まあ、普段食べたものをメモる習慣は当然ないので、この日は特別に食べ過ぎたと思ったからメモったのでしょう…。


2日目 1996年12月26日

6時半に長野を出発し、8時頃に直江津着。

直江津駅から日本海を見るために海まで歩き、冬の日本海を眺めてから富山方面へ。


直江津駅付近…乾物屋などが多く、雪に適した建物のつくりになっておりますな…
 
富山を散策してから高岡へ行き、高岡大仏をそそくさと拝見する。
 

高岡大仏さまです
 
14時過ぎに金沢に着いてからは夜までじっくりと金沢散策を楽しんだ。
雪がパラついていて旅情があった。


3日目 1996年12月27日

前夜に夜更かしし、3時間も寝ずに5時半すぎに金沢出発。


福井には7時半過ぎに着く。

福井城をそそくさと散策。
 


朝早く誰もいない頃の福井城址
 
敦賀ってオイラにとってはいつか来てみたかったある意味最果ての地。

京都からそんなに遠いわけじゃないんだけど、何かがんばって行かない限りなかなか来られないような場所にありますよね…。

気比神社とかいつか行ってみたかったんすよ…。
 

こんな晴れた日に気比神社に来るなんてラッキー
 

舞鶴敦賀と同じでなかなか来られない場所にある憧れの地…。


ここなんて一応は京都府なんですが、シベリア抑留帰港地とか、旧共産圏への軍港・貿易港といったそんな最果てなイメージがつきまといます。


しかも舞鶴には歴史のある西舞鶴と軍港のある東舞鶴があってそれぞれを散策しましたよ。


こちらは舞鶴城(田辺城)がある西舞鶴っすな…
 

舞鶴からは北近畿タンゴ鉄道に乗って、丹後半島を攻めました。

丹後ディスカバリー号はとてもステキな列車で、椅子頭部のカバーは当然ながら丹後ちりめん。

若狭湾からは美しい海岸線が望めました。


若狭湾の美しい海岸線
 

丹後観光のハイライトは言うまでもなく天橋立ですわな…。

砂州をゆっくりと歩いてみました。



小春日和の天橋立は本当に最高でした
 

推敲の限りが尽くされ一切無駄のない文章を書くことで「小説の神様」と言われる志賀直哉の「城崎にて」や「暗夜行路」を読んだことがあるにせよないにせよせよ…城崎と聞くとなんとも旅愁をそそられる気がしますが、実際に旅愁あふれる温泉街でした。


これだけの知名度をほこりながら昔ながらのひなびた感じと活気が内在していてすばらしい温泉郷でした。


外湯を3ヵ所ぐらいめぐりましたが、貧乏学生には温泉街で宿に泊まるほどのお金はないので仕方なく鳥取方面へ…。

 


城崎温泉は本当に情緒のある温泉街でした

兵庫県鳥取県東部の日本海側の景色ほど美しそうな景色もそうはあるまいと想像するのだが、おバカなことに夜に電車でスルーしてしまう。

鳥取に着いたのは21時でそれから散策がてら宿をかなり探してチェックインしたのは22時半でしたよ…。

年末の寒い時期に何やってんだか。


4日目 1996年12月28日

鳥取といえばまず砂丘を思い出すので当然のように砂丘へ。


長靴をレンタルしたが、おかげで助かった。

砂の山を登るのは大変で、しかも冬だったものだから強く吹く風が冷たくて鼻水が垂れた。

長靴レンタル屋のおばさんがお茶と焼き芋をふるまってくれ、旅情と人情を感じた。



一目でわかる鳥取砂丘
 

米子市内を1時間ぐらい散策しているのだが、記憶がありませぬ。

でも、あいにく大山が見えずにくやしい思いをした記憶はあります。

そして、昔から一度は行ってみたかった都市のひとつである松江に行く。

ここは県庁所在地としては全国で最小の街の一つだと思うが、宍道湖の夕景や水のある街の美しさはかなりのもの。

また、松江というだけあって松の木が多く風情があって旅情をかきたてられた。

この日は松江宿泊だったのでゆっくりと市内を散策した。
 

美しい宍道湖の景色 


5日目 1996年12月29日

6時頃に宍道湖沿いにある一畑電車松江宍道湖温泉駅を出発し、出雲大社へ向かう。

電車はずっと宍道湖沿いを走り、旅情をそそる。

宍道湖が暁に染まる様子を眺めつつ引き締る空気の中、出雲大社へ向かう。


長らく参拝したかった出雲大社

規模が大きいわけでもなく、社殿の縄がやたらと太かったこと以外に社殿が印象的なわけでもないが荘厳な朝をすごした感じがした。

この頃は当時出雲市長だった岩国哲人さんに勢いがあったよな~。



荘厳な冬の出雲大社


その後は出雲市益田市を1時間ぐらいずつ散策した後、はるか山口市に。

県庁所在地としての計画都市なだけに街としては松江市とともに全国最小の規模だと思うが、京都になぞらえて作られ、西の京と呼ばれている街であるだけに街の景観は美しい。


美しい瑠璃光寺五重塔が主な見所だが、火事で消失する1991年まではサビエル礼拝堂があった。

なお、山口の人はザビエルではなくサビエルと言うらしい。

宿泊したのは市街から3kmぐらい歩いた場所にある湯田温泉郷。

歓楽の色が濃くにぎやかな温泉街である。



美しい山口市の景観


6日目 1996年12月30日

湯田温泉で気持ちの良い朝風呂に入ったあとは、山口まで来ておきながらまた島根県益田方面へバック。

朝のうちに津和野へ。

津和野も昔から来てみたかった美しい街だ。

朝もやのなかに赤い屋根の街が出現したと思ったらそこが津和野の街で、レンタサイクルをしてマリア聖堂や森鴎外旧居などを見学。

昔のたたずまいを残し、市内の小川には鯉が泳ぐような美しい街に息をのむ。



朝もやに映える津和野の街


同じフレーズばかりで申し訳ないが、昔から来てみたかった萩へ。

長州の青く美しい日本海に目を奪われている間に着く。

どこかにも同じことを書いたが、日本の海は概して太平洋より日本海のほうが海が青く景色が美しい。



美しい長州の海


萩でもレンタサイクルをして城下町を散策する。夏みかんがあちこちでなっていたが、これがまた萩焼の土壁とマッチする。

萩の街並みや萩城跡の美しい景色に目を奪われながらも、萩がすごいのはその人材排出力であろう。

高杉晋作伊藤博文山県有朋…数えればきりがなく、日本の総理大臣輩出人数も堂々の1位だが、要は吉田松陰がすごいってことか…。

吉田松陰って29歳で亡くなっているんだけど、これを書いている30歳の自分からしたら「どんだけやねん!どんだけ偉大やねん!」って感じをぬぐえない。


ちなみにこの旅の当時は20歳だったので吉田松陰はとてもすごい先輩と思っていたのだが、今となってはやはり「どんだけやねん!」としか言いようがありません。

この文を書いている現在の首相は長州は長門出身の安倍晋三氏ですが、氏の尊敬する人物も吉田松蔭でしたな…。


~身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂

 


この萩焼の土壁の家々と夏みかんのマッチすること!情緒のあることと言ったらない…



つわものものが夢の跡って感じの萩城址


この日は博多近辺で浪人生活を送っていて、夏の自転車旅行時にも迷惑をかけた親友のY氏と再会するために受験前の大切な時期に少しばかり時間をもらう。

次の春に慶応に合格しておめでとう!

2時間ぐらい話をした後に博多へ移動し、天神の屋台でラーメンを食べたりして過ごして23時発宮崎行きバスを待つ。


7日目 1996年12月31日

博多からのバスに乗って朝の7時20分に帰宅。

お疲れ様でした。

30歳になって20歳の出来事を起こす作業に対しても。