- 東京→宮崎自転車珍道中
- 旅日記[1995年]
- 旅日記[1996年]
- 12日目 1996年8月14日 東京→徳島
- 13日目 1996年8月15日 徳島→大阪 20km
- 14日目 1996年8月16日 大阪→姫路 84km
- 15日目 1996年8月17日 姫路→岡山 88km
- 16日目 1996年8月18日 岡山→尾道 80km
- 17日目 1996年8月19日 尾道→広島 120km
- 18日目 1996年8月20日 広島→岩国 44km
- 19日目 1996年8月21日 岩国→防府 84km
- 20日目 1996年8月22日 防府→小倉 95km
- 21日目 1996年8月23日 福岡滞在
- 22日目 1996年8月24日 小倉→宇佐 65km
- 23日目 1996年8月25日 宇佐→野津 90km
- 24日目 1996年8月26日 野津→宮崎 173km
- 25日目 1996年9月5日 宮崎→川崎
- 26日目 1996年9月6日 川崎→東京
東京→宮崎自転車珍道中
大学1年の夏には東京→大阪、大学2年の夏には大阪→宮崎を自転車で旅をした。
これは、昔からの夢だったのでそれを実現した形となった。
余談だが、私が日程上の理由で2度に分けて行わざるを得なかったことを、弟は翌年に1度で横断してしまった。
しかも、ヤツは私が鈴鹿峠越えにとても苦労したことを知っていたので、関ヶ原周りで楽な旅をできた上に、私の自転車を利用することもできた。
以下は、当時の旅日記から抜粋した内容を記したものである。
旅日記[1995年]
1日目 1995年8月13日 横浜→町田
町田の友人の家にて集まって遊ぶこととなっていたので、横浜市青葉区あざみ野の自宅から町田市つくし野の友人の家までちょっとだけ自転車をこぐ。
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2日目 1995年8月14日 町田→清水
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夜遅くまでバカ騒ぎしていたのにも関わらず、私だけほとんど寝てないのに早朝に起きて5時半に出発。
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国道246号線は車が走るために作られた道なので、自転車で走るのはかなり怖かった。
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山北ぐらいからは登りばかりで大変だったが、御殿場から沼津ぐらいまでは軽快な下り道を富士山を横目にひた走る。
御殿場を13時、沼津を15時に通過。
駿河湾の防波堤と松原の間の道を軽快に走り、富士17時に通過。
富士の道の駅から見る富士山がとても美しかった。
由比のあたりでは、怖くて国道1号を走る気が全く起きなかったので、下道を模索しながら走った。
っていうか、上を走ったら死ぬと思う。
そのため、意外に時間をロスする。
途中から下道が無くなってきたので、腹をくくって途中から真っ暗な中、国道1号の上をひた走ったが、おそろしく怖かった。
死ぬかと思いましたわ。
轢かないでくださったドライバーの方々ありがとうございました…。
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由比あたりの景色20時に清水に着いたが、ここらへんでバテバテになったのでカプセルホテル(2,800円)に宿泊。
しかし、初日から猛烈にケツが痛くなってしまったわい。
1日で150km以上こいだが、この自己記録は簡単には破れないだろう。
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3日目 1995年8月15日 清水→浜松
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疲れのためかスタートが遅れてしまい、9時に出発。
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静岡10時、藤枝13時、掛川16時に通過。
静岡市を軽く見学した。
大井川を越えてすぐの金谷峠は難所ではあったが、美しい茶畑が広がっていたので走っていてものすごく風情があった。
茶積みの歌を口ずさみながら軽快に走る。
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金谷峠は風情がありますわ…しかし、それを過ぎてから、掛川・袋井・磐田あたりのあまりに単調な風景にイライラしながらひたすら走る。
ずいぶん遠くからランドマークのアクトシティー浜松が見えたが、見えてからも浜松までは意外に遠かった。
浜松には20時に到着。
しかし、静岡県の長さにはビックリさせられるわい!
カプセルホテル(2,900円)に宿泊。
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4日目 1995年8月16日 浜松→名古屋
がんばって7時に出発。
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浜名湖周辺では外国人の人と一緒に話しながら自転車をこいだ。
意外にこの辺には外国人の人が多く住んでいるそうだ。
なお、後に調べて、工場でブラジル人などの外国人労働者がたくさん働いていることを知った。
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途中で一緒に走った外国人の方と…
しかし、浜松→豊橋間がこんなに遠いとは思わなかった。
さらに豊橋→名古屋の間の遠いこと遠いこと。
何だかんだで名古屋に着いたのはなんと21時となった。
金山にあるカプセルホテル(2,800円)に宿泊。
今回は名古屋の真ん中まで行くのはやめにしておくことにした。
5日目 1995年8月17日 名古屋→亀山
またまたスタートが遅れてしまい、名古屋を10時に出発。
ここで致命的な進路ミスを犯し、旧東海道に従って鈴鹿峠が待ち受ける鈴鹿方面へと進んでしまう。
「目指すべきだったのは関ヶ原方面だろ!」と言っても後の祭です。
飛島村(「あすか」じゃないよ「とびしま」だよ!)は「こんな埋立工業地を村と言っていいんかいな?」と言いたくなるような、村という概念を根底から覆すような村であった。
そして、社会人になって偶然に仕事でこの一帯を訪れることになったのだが感慨深かった。
この辺では温泉が出るらしく、スパランドのような施設に行って一気にリフレッシュした。
亀山に着いたのは20時だったが、この日にこれ以上は行けるわけもないので、この辺で宿を探すことにする。
しかし、こんな小さな街に安い宿なんぞがあるわけもなく、寝袋を敷いて公園で野宿。
寝袋を持っていても毎日カプセルにばかり泊まる怠け者の私は、蚊が何より嫌いなので汗をかいたまま野宿をするのをためらっていたのだが、寝転がっていたら親切なおばあさんがお風呂を貸してくれることになった。
感謝!感謝!
一見、ハングリーに見える旅をしていますが、ぼっちゃん育ちで、辛いことが嫌いな性格なので本当は野宿とかは苦手なんですわ…。
6日目 1995年8月18日 亀山→京都
7時半に出発し、関町の街並みを見学した後には東京→宮崎間の中でも最大の難関である鈴鹿峠が待ち構えておりましたわい。
標高400mぐらいまで登らなくてはならなかったのだが、こいでいては話にならず、とぼとぼと押して行きましたわよ…。
しかし、峠を越えた後はずっと水口(みなくち)のほうまで一方的な下り道でかなり楽だった。
琵琶湖が見えたときにはかなり感動した。
関町にて…
草津15時、大津16時に通過し、17時に京都へ到着。
山科を過ぎた後に東山の上り坂があってちょっと大変だった。
アメニティーホテル(3,600円)に宿泊。
このカプセルホテルは設備が粗悪な割に高いのだが、京都はここしかカプセルホテルがないんですわ…。
なので、京都に来たときにはここに泊まることが多い。
7日目 1995年8月19日 京都滞在
丸一日京都を自転車で観光して過ごした。
自転車で京都観光するのって楽しい。
走らなくて良い日って本当に楽!
同じ宿に連泊。
8日目 1995年8月20日 大阪→宮崎
京都を9時に出発したが、大阪に着いたのは14時。
意外に遠かったうえ、天王山周辺は坂になっていたし、とても暑かったので大阪を遠く感じた。
大阪に着いてからは、ミナミの川べりのベンチで昼寝をしたら、3時間近くも寝てしまったようで、あわや船の時刻に遅れそうになってしまい、あわてて猛スピードで南港へ自転車を漕ぐ。
なんとか間に合いフェリーに乗船。
9日目 1995年8月21日 大阪→宮崎
翌朝無事に宮崎に到着、帰省完了。
10日目 1995年8月22日 宮崎→川崎
日程上の理由であまりにも短すぎる帰省終了。
横浜に戻るため、宮崎を出航。
11日目 1995年8月23日 川崎→横浜
15時川崎港到着。
そこから自転車をこぎ、横浜市青葉区の自宅に着いたのは18時半だった。
これにて、無事帰還。
続きは翌年へ。
旅日記[1996年]
12日目 1996年8月14日 東京→徳島
さて、今度は大阪→宮崎までのルートとなる。
東京→大阪のフェリーというのは実はないので、東京→徳島→大阪というルートをとることを余儀なくされるわけで、まずはこのルートで大阪へ。
実は引っ越したばかりの五反田の家からお台場まで自転車で行こうと思えばかなりの遠回りが必要となる。
時間が読めなかったこともあって、8月12日に自転車を有明駅に置いておいたのでゆりかもめでお台場へ行く。
16時に五反田の家を出て、19時に出航。
船は台風12号の影響でひどく揺れる。
トイレには吐しゃ物が飛び散っており、阿鼻叫喚の様相。
13日目 1996年8月15日 徳島→大阪 20km
12時半に徳島へ到着する予定が16時40分にまで遅れる。
おかげで、徳島を出航したのは18時半となってしまった。
徳島を出発するのはこんな時間に…
そして、大阪南港へは夜に到着。
ここ大阪南港は前回の旅の終点だったので、ここから再スタートすることが重要だったのだ。
夜遅かったのでカプセルホテルはどこも満室だったので、大東洋サウナ(1,400円)に宿泊。
14日目 1996年8月16日 大阪→姫路 84km
7時40分に出発。
10時半には三宮へ到着。
阪神大震災から1年半ちょっとしか経っていなかったのに意外に震災の痕を目にすることはなかったが、長田区において裏通りに入ってみると無残な光景が残っていた。
須磨のあたりの海岸沿いの道はものすごく快適な道でテンションが一気に上がった。
建設中の明石大橋の大きさにビックリした。
須磨あたりの様子
前回は観光的魅力があんまりない東海道だったこともあって、京都以外では一日中自転車をこいでいたが、今回は観光的魅力がたっぷりな山陽道なので、自転車をこぐのは早めに切り上げて観光を楽しむことにしていたこともあり、16時に姫路に着き、姫路城を見学する。
姫路城は子供の頃から猛烈に見たかったお城なのでかなり感激した。
既にものすごくお尻が痛くなった。
O-157が流行っている時期で、関西なのでものすごく警戒していることが立ち寄る食堂などでわかった。
カプセルインハワイ(3,300円)に宿泊。
15日目 1996年8月17日 姫路→岡山 88km
7時半に出発し、9時半に相生を通過、昼前には岡山県に入る。
県境のところに微妙に峠が存在していた。
岡山市に着いたのは15時。
岡山城と後楽園を見学する。
後楽園
さすがに昨日に姫路城を見た後なので、真っ黒なことから「烏城」と呼ばれる岡山城にはそれほどの驚きはなかったが、後楽園をしっかりと見ることができたのでかなり満足できた。
カプセルイン岡山(4,120円)に宿泊。
16日目 1996年8月18日 岡山→尾道 80km
本当は早く出発するつもりだったが、朝風呂に入って二度寝してしまう。
8時20分に岡山を出発するが、すぐに倉敷にて美観地区を見物。
ここも昔から行ってみたかったので、行くことができてかなり感激した。
美観地区を隅々まで探索した後に、11時半に倉敷を後にするひたすら尾道目指して走るが、高梨川を越えてからは、あまりに単調な景色ばかりが続いたことと、猛烈に暑かったためかなり疲れた。
おもしろかったのは金光町で金光教の施設を見たことぐらいだった。
15時に福山を通過し、17時に憧れの尾道へ。
昔から強く憧れていた尾道だが、実際に来た尾道も最高の街だった。
大林映画の光景と瀬戸内海の叙情的な光景に興奮しながら街中を探索しまくった。
こういうドキドキワクワクの瞬間があるから旅はやめられない!
「この坂をママチャリで上るとは小林聡美もやるな!」なんてアホなことを考えながら、映画の中で小林聡美がママチャリでかけ上った坂を自分の自転車でも一気にかけ上った。
古寺めぐりもしたし、展望台のほうから市街を眺めたりもした。
尾道の景色は本当に風情がある
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ホテル大正苑(4,000円)というレトロな(古い)ホテルに宿泊。 -
20時にもなると開いている店がどこもないのもこの街の魅力だと思った。
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17日目 1996年8月19日 尾道→広島 120km
この日は距離があるので7時に出発。
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本当は「しまなみ街道」方面へ歩を進めたいのだが、西進!
10時半に竹原を通過。
竹原の小京都を見学して、瀬戸内の美しい景色を横目に走って、呉へは14時頃に着いた。
呉市の広から呉への”呉越え”はかなり大変だった。
宮崎市内にどことなく似た呉市内を観光し、海岸沿いの道をひた走って広島市内へ17時40分頃に着いた。
呉越えをして呉市に入る
その後は大急ぎで平和記念公園・原爆ドーム・広島城を見学した。
あまりに暑かったせいもあるが、無意識に小さなお金をコツコツと使ってしまって、うすうす気づいてはいたのだが、金の減りが予想以上に早かったようで、残金がだいぶ少なくなっていたことに驚いた。
「お尻が痛い・暑い・疲れた→休もう→食べよう」「疲れたから良さそうなカプセルに泊まろう」といういけないサイクルに入ってしまっていたのだ。
そんな中、父・母からカンパがある。
さすがミスター親不孝!ラッキーだと喜ぶだけで反省の色まるでなし!
カプセルイン広島(2,900円)に宿泊。
18日目 1996年8月20日 広島→岩国 44km
この日は移動距離が短いので9時頃にゆっくりと起きる。
その後、平和記念資料館に行き見学。
原爆投下によるヒロシマの悲惨さと、その後の広島の復興の力強さに目頭が熱くなり鳥肌が立った。
どうでも良いが、あと、広島には美女が多かったなあ…。
次は以前より行ってみたかった宮島へ向かった。
宮島口に向かう途中に廿日市(はつかいち)市で食べたお好み焼きが猛烈に美味かったのでそれからしばらくは、「お好み焼き=広島風」という公式が自分の中でできてしまった。
宮島には宮島口から船に乗って行ったわけだが、厳島神社は日本三景に挙げられるだけあって、予想した通りとても美しい神社であった。
島には人懐っこい鹿がたくさんいておもしろかった。
満潮の厳島神社
15時半に宮島口を出発し、岩国には16時半には着いた。
太陽ホテル(2,900円)に宿泊。
金の補充はできたが、強運には強運が重なるもので、パチンコでさらに2万円の資金追加ができた。
「補充した金でパチンコをするところが我ながらさすが…」と言いたいところだが、これにはウラがある。
この当時に私がやっていたパチンコのやり方というのは簡単で、500円しか使わないというやり方である。
それで、出れば続けるし、出なければ終わりというやり方なので大きく負けることは絶対になかったのだ…。
19日目 1996年8月21日 岩国→防府 84km
今日は山道なので6時半に出発。
以前より見たかった錦帯橋をゆっくりと見学し、11時に徳山を経由し、15時30分に防府に到着。
防府は自転車でちょっといけるところだと防府天満宮ぐらいしか見るところがない(毛利庭園行きたかったが意外に入場料が高いので見る金がなくて…)。
佐波ビジネスホテル(3,000円)に泊まるが、スタッフの方がとても良い方で、おばさんが洗濯までしてくれた。
この辺で全行程の半分以上程度が過ぎたことになると思う。
この日は途中、休みがてらにパチンコで2,000円の収入。
だんだんと儲けが少なくなってきた。
前々から「もうそろそろパチンコは辞めにしよう」と思っていたので、この日と最終日を最後にほとんどパチンコをしなくなる。
通算としては得たお金のほうが全然多いので、勝ち逃げに成功したわけである。
20日目 1996年8月22日 防府→小倉 95km
ちょっと早めの6時10分に出発し、12時半には下関市長府を通過。
その後、赤間神社や旧英国領事館や市街地などを見て回り、関門トンネルを15時半頃にくぐった。
徒歩専用トンネルをくぐったのだが、ちょっとばかり感動した。
あと少しで関門トンネルだ…
関門トンネルにて…
16時半に小倉に着き、自転車と衣類を駐輪場に置いて、福岡市の香椎に住む友人に会うために電車で香椎に向かった。
親友のYくんと1年ぶりの再会を果たし、飯を食いに行った。
その後、彼の寮に泊まらせてもらおうとしてもぐりこんだのだが、話し声などのせいで寮長に見つかった。
当然ながら、寮から追い出され、博多のカプセルイン博多(3,090円)に泊まるハメに…。
猛烈に疲れていたので倒れるように寝た。
しかし、寮長に見つかったときに逆ギレしたのだが、「あそこで逆ギレする俺もすごいなあ…」と逆の意味で感心する。
どう見てもこっちのほうが悪かったって!すまんYくん。
21日目 1996年8月23日 福岡滞在
このまま後味の悪いままでYくんと別れるのは難なので、博多で待ち合わせをして、キャナルシティや天神の方を散策した。
色々と話ができて有意義な一日となった。
彼も二浪目で苦労しているであろう中、大切な一日をつき合わせてちょっと申し訳なくも思った。
なお、Yくんはめでたく次の春に慶應義塾大学に進学した。
夜に小倉へ向かうと、とんでもない事件が起きていた。
自転車の荷台に置いておいた荷物が見事になくなっていたのだ。
「まさかあんな汚い衣類なんぞ誰も取らないだろう…」と高をくくっていた自分が甘すぎた。
必死に探した結果、近くの藪の中からそのほとんどを回収することができたが、帰省後に着るつもりで載せていたちょっと高めの服は見事になくなっていた。
一体、何が楽しくてこんなことをするのだろう!
これまで平和に旅をしていただけにやるせない気持ちになった。
また、小倉の街は、汚いうえ、浮浪者も多く、40すぎの立ちんぼのおばさんがいたり、呼び込みの声がうるさかったりして、さらにこのような被害にあったので、全く好きになれない街だと強く思った。
グリーンランド小倉(2,570円)に宿泊。
22日目 1996年8月24日 小倉→宇佐 65km
9時10分に小倉を出発し、13時に中津到着。
中津市内を見物する。
昨日のショックもあってあまりモチベーションが上がらなかったので宇佐でストップした。
低気圧が近づいていたが、ずっと田園風景が広がって気持ち良かった。
途中でお金をカンパしてもらったのにもう残りが少なくなってきている。
ちょっと自己嫌悪に陥るが、そんな時間がほんの一瞬なのは私の良いところでもあり、悪いところでもある。
金がないといいながらこれまでで一番豪華な宿であるビジネスホテル宇佐(4,200円)に泊まる。
「しかし、宇佐ってものすごく田舎だな~。これで市なのか?」と思った。
23日目 1996年8月25日 宇佐→野津 90km
今日は距離をかせごうと思ったが、なんだかんだで7時出発になる。
しかも、わずか3kmで宇佐神宮に入ってゆっくりと参拝してしまい、その後、ジョイフルで朝食をとっていたら意外に遅れをとってしまった。
ジョイフルのメニューの安さを見て九州に帰ってきたことを実感した。
全国に四万四千社あると称される八幡宮の総本社である宇佐八幡宮
11時30分頃に別府に到着。
別府に来るのは4度目になるが、別府湾と由布岳をはじめとする1,000m級の山々がおりなす景色にあらためて感動した。
温泉だけでなく、風光明媚な自然が別府の別府たるところだ…
13時20分に大分に到着。
大分城跡に行った後、市街を散策した。
もちろんこの日は大分市で止めるわけにはいかなかったので、大分市から30kmほどいった野津町まで進んだ。
えびす屋旅館(朝食つきで3,800円)に宿泊。
24日目 1996年8月26日 野津→宮崎 173km
宿の朝食の関係で出発は7時30分になった。
「日本一美しい」という看板を掲げる風連鍾乳洞を見学した。
どこがどう日本一なのかはわからないが大変美しかった。
朝イチということもあって客は私一人でとても風情があった。
その後は我を忘れたように走った。
今回の旅の難所だと思っていた宗太郎峠もなんとか走り抜き、13時20分頃に延岡に到着。
難所だと覚悟していたのだが、去年の鈴鹿峠よりは断然楽勝だった…。
パチンコ屋で用を足し、3kmぐらい進んだところにあるジョイフルで食事をしようとして財布を探したのだが、財布がない。
さては「さっきのパチンコ屋のトイレにでも置いて来てしまったな…」と思い、パチンコ屋へ向かって逆走。
パチンコ屋に着いて、さっき財布を入れる場所を変えたことをふと思い出し、自分に対する怒りがこみ上げた。
これで6kmもロスしてしまったが、ジョイフルでの昼食後は我を忘れてひたすら自転車をこいだ。
途中都農(つの)町で集中豪雨に見舞われたがなんのその。
ビショビショになりながら狂ったように自転車をこいだ。
今思えば不思議だったが、あのすさまじい豪雨の中、ペダルを突き動かした情念は一体どこから湧き起こったのだろう…。
それだけ故郷が懐かしく早く家に帰りたかったのだろうか…。
…などといいつつ、故郷の宮崎市に入ったのは19時半だったのだが、パチンコをちょっとやってから帰ったので、家には20時50分頃に到着。
去年の初日の150kmの記録を大きく上回る173kmにわたるウイニングランで最終日を締めくくった。
自分の足で帰ってきた故郷は、あたりまえだが、飛行機で帰る故郷よりずっと感動的であった。
25日目 1996年9月5日 宮崎→川崎
昨年よりは長いが、しばしの里帰りを楽しんだ後、明治大学に通う親友のKくんと一緒にフェリーで帰京。
26日目 1996年9月6日 川崎→東京
フェリーは15時半頃に川崎に到着。
その後は東京方面へ自転車を進め、17時に五反田の家へ到着した。
これで旅の全行程は終了となった。