俺が大学生になったのは1995年だった。
1990年代初頭にバブルが崩壊し、ソ連が崩壊し、政治にダイナミズムが起きるかと期待した細川連立政権が発足して1年持たずに崩壊し、不良債権問題が社会問題化したものの、日本のGDPが頂点を極める時期であった。
また、1995年は阪神淡路大震災とオウム真理教によるテロ事件が起きた特別な年だった。
そして、18年間宮崎に住んでいた俺が、その後24年間以上住み続ける東京に移ったという意味でも個人的にあまりに特別な年だった。
1995年末にWindows95が世に出てインターネットが普及していって時代が大きく変わっていったが、当時はインターネットへの接続は時間従量制だったし、通信速度は異常に遅かったので、大学生が日常的に使うにはまだ適していなかった。
当時は市外への電話料金が驚くほどに高かったし、まだポケベルの時代で携帯電話やPHSは学生にまでは普及していなかったからとにかく手紙でやり取りをした。
メールを出す感覚で書いては切手を貼ってポストに投函していた。
大学生最後の20世紀末の頃には携帯電話を持ち、PCとメールアドレスも持ち、さらにその後には電話料金が安くなったり、Skypeが使えるようになっていったので手紙を書くことなどそうそうなくなったのだが、この1995年前後というのは手紙というツールが日常で使われていた最後の時期だったのではないかと個人的な体験からは思う。
1995年の大学一年生の時は特に浪人中の友人・地元に住む友人・母親と日々手紙をやりとりしていた。
また、海外に旅に出て暇な時間ができた時には友人や家族に絵葉書を書いて送りまくっていたのだがバンコクのカオサン通りのカフェに佇んで書いた絵葉書の枚数はとんでもない数だったのではないかと思う。
同じように旅先の友人や、海外で知り合った日本人や外国人から数多くの手紙をもらった。
俺は常に断捨離を心がけているミニマリストを自認しているのだが、著名ミニマリストの方々は「本や写真や手紙や説明書はスキャンしてデータ化して捨てるべし」と口をすっぱく述べられていて、確かにこれらのモノは場所を取るので俺だってそれが可能ならそうしたいと思っている。
本は「この本は確実に定期的に読み返す可能性が高い」と思っているバイブル的な本以外は躊躇せずに捨てるか譲渡するようにしているし、実家でなく我が家に置いているアナログの写真の枚数は問題にするほどの枚数ではないし、家電が少ないので説明書をファイリングして取っておいても大した量にはならないし、モノも定期的に要不要を厳しく選別している。
しかし、手紙や葉書だけはどうしても捨てられずにいる。
それなりにかさばるし、場所も取っているのだが、どうしても捨てられないのである。
先日も選別して捨てようと思って、手紙の袋を開けて少し読み返したのだが、少し読むだけで俺の頭から完全に抜けていた記憶がどんどん蘇ってきた。
特に浪人していた3人の友人が俺に送ってきた手紙はとんでもなく時間をかけて書かれた力作揃いで、今でも見るたびに驚く。
写真や雑誌やチラシの切り抜きがギャグで貼られていたり、絵が描かれていたりしていて、「受験勉強中の息抜きもしくは逃避のために時間かけて書いたんやな~」と唸らされる内容のものばかりで、時に笑い転げながら見返した。
幸い彼らは高偏差値の大学に受かってくれたし、今でも仲良くしているが、この手紙を読み返せば彼らとの思い出がさらに鮮やかに蘇るし、未来の俺がこれを読み返しても同じような気持ちになると思う。
両親からの手紙も多い。
「いつまでもチャラチャラせずにちゃんとせんと」とたしなめているものもあれば、真面目な内容のものも数多くあって、「この頃の親は俺にこんなことを言ったり心配していたりしたのだな」と色々と考えさせられる。
旅で出会った日本人や外国人とは今となっては連絡がつかなくなっているが、彼らからもらった手紙を捨てることは彼らとの思い出を俺の脳から消すことにすらなりかねないし、大学生の時にガンで亡くなった親友が病床からよこしたふざけた内容の手紙の数々は一生の宝である。
これらの手紙をスキャンして捨ててしまうことができるかといえば今の俺にはできない。
封筒にですら何か趣向が凝らされているからというのもあるし、手書きの手紙そのものにもインクや筆圧などデジタルでは察知できない味がある。
そして、1995年前後を最後に家に溜まる手紙の量はうんと減っているのだからこの手紙を取っておいてもさほど邪魔にはなるまいと結論づけるに至った。
このように結論づけたので、これからマイ断捨離ブームが度々起きてもこれらの手紙に手をつけることはないと思う。