GOODDAYS 東京仙人生活

ひっそりと静かに生きる47歳仙人のつぶやき

死刑批判は人でなしの言うこと

高校3年2学期末試験でビリから4位だったが、高校時代に900冊の本を読んでいたので現代文はできて、地理と世界史も大好きだったので頭に入っていたのだが、他はからっきしダメで、受験前の3ヵ月だけ一生懸命に勉強してなんとか14学部も受験して3学部だけ合格した。

14学部も受けたとはいえ、配点を見たり、赤本で過去問を徹底研究したりして、もしかしたら受かるかもしれないと思った大学を厳選して受けたのだが、受かった学部は国際関係学部と経営学部と法学部とバラバラだった。

 

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法律には興味がなかったとはいえ、法律ではなく、政治や国際関係や社会学の科目を履修しまくっても大丈夫なことがわかったので法学部を選んだのだが、実は、大学か渋谷にあることがその大学を選んだ最大の理由だった。

もちろん、ほとんどの人間は法律科目を履修するが、俺は必修科目以外は政治や国際関係や社会学の単位ばかりを履修した。

ということで、法学部は出たけど法律を勉強したという実感はない。

 

必修の刑法の授業の際に「この先生は死刑反対という立場で書けば間違いなく単位が取れる」という先生がいて、俺は単位が欲しいがために俺はテストでは自分の意に反しても死刑に反対する旨の意見を書いた。

ディベートでは対立する2つの意見のどちらの立場に立っても相手と議論することが求められるが、違う意見を述べると好き・嫌いだとか従った・従っていないという風に感情的にとりがち・とられがちな日本ではもっとディベートを教育や企業研修に取り入れるべきだと思う。

そういった意味で、嫌悪感を抱く死刑に反対という立場に立って理論武装をするという経験は個人的に良い経験となった。

個人的には今も昔も何があろうか理屈がどうだろうが死刑に大賛成なので、その時の理屈を思い返そうとは思わないが、反対派の立場に立って勉強しながら、理屈だけならば絶対に死刑反対のほうに圧倒的な分があるなあとショックを受けた記憶は忘れられない。

ただし、死刑による再犯防止力は100%であるというシンプルな事実だけは否定し得ないと思う。

 

平和な毎日を享受できるのは国家や法のおかげと感謝をしつつも、国家権力や法の圧倒的な強制性に過度の恐れを抱き、警察や税務署といった公権力執行機関を嫌っているのだが、権力行使の際たるものである刑法の甘さに対しては強い不満を持っており、ここには見事なまでの自己矛盾がある。

 

万人が納得する刑法などそうそうあるはずがないが、裁判員制度裁判員に選ばれようものなら俺は可能な限り最も重い刑を無条件で支持するし、もし、俺=法律ならば間違いなくハンムラビ法典的なものを定める。

実際のハンムラビ法典には身分差や男女差があるので明確に同じというわけではないが、目には目をという部分に関しては平等だと思う。

法学部出身の人間が言うこととしては甚だ不穏当だが、法体系の考え方や理屈をいくら学んでも感情は変わらないし変えられない。

 

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地下鉄サリン事件が起きたのが1995年の3月で、大学に入学する直前のことだったのだが、夢にまで見た東京での大学生活を送れることがうれしいがために浮かれていたし、上京直前で地元の友人と遊びまくっていたため、この事件について真面目に考えておらず、また、当時はオウム真理教上祐史浩氏らが連日テレビに出ていたような状況だったので、麻原彰晃の歌をおもしろがったり、この不思議なカルト教団をおもしろがったりしていた。

麻原彰晃の顔はスケッチのしがいがあるなあと呑気にスケッチをして自画自賛したり、麻原彰晃の歌を口ずさんで一人でウケていた。

その頃に描いたスケッチが下のスケッチである。

 

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また、大学のすぐ近くにオウム真理教の南青山総本部があり、毎日、警察やマスコミが貼りついているのを見て、訛りまくりのこの田舎者は「東京てげスゲー」と能天気なことを思っていた。

そして、このおぞましい事件の全貌が明らかになるにつれ、自分はなんて能天気なことを考えていたんだと深い自己嫌悪を抱いた。

 

やがて東京の東側に引っ越して、築地駅に近い場所に住むことになった。

地下鉄サリン事件で13名の死者と6,300人ほどの負傷者が出たが、築地駅からは搬送された3名の命が失われた。

他に坂本弁護士一家殺人事件や松本サリン事件といった事件もあり、13名の死刑判決が出て、うち7名の死刑が執行されたが、ここまであまりにも長い時間とコストがかかったものだというのが多くの被害者の感情だろうと想像する。

死刑を執行したことをEUから批判されているが、そんな人でなしなEUの意見は無視すれば良いと思う。

 

富士樹海の入口にて

 

同じ東京でも海の近くに住むと少し違う

練馬区から引っ越して東京湾の近くに住むようになって10年経つが、大都会であっても海の近くに住むのと内陸部に住むのとで天候の違いを感じる。

 

まず違うのは風の匂いで、今住んでいる家には良くも悪くも潮の匂いがする風が吹き込むことが多い。

ということは建物の塩害に注意が必要ということになる。

 

気温に関しても違いがあるのだが、関東で特に気温が上がるのが埼玉や群馬であることからもわかる通り、海水が周囲の気温の上昇を抑えてくれるのと、ヒートアイランド現象を抑制してくれるので海沿いは体感温度が低い。

勝鬨橋を渡って築地に向かうと急に暑くなったように感じるし、勝どき側に戻ってくると一気に涼しくなったように感じる。

同じく、練馬あたりで雪が降っていても海水によって気温の低下が抑えられるためか、こちらではなかなか降らないことが多い。

また、海沿いなので風が強いのだが、冬は寒く感じるものの、夏はこのおかげで涼しく感じる。

 

なお、隅田川は満潮時に逆流するのだが、川に入り込む海水のおかげで虫や蚊が少ない。

築地市場でも虫の発生を抑えるために海水で床掃除をしているそうである。

また、川の水が海水であるために、川にやたらとたくさんのクラゲが浮遊している。

あとは、船の汽笛や通行音や屋形船からのカラオケ音声が聞こえるのはこのエリアならではの特色ともいえる。

 

そういうわけで湾岸エリアは同じ東京でも夏に比較的過ごしやすいエリアなのだが、おかげでかなり暑がりな俺もまだ一度も冷房に世話にならない生活を送ることができている。

とはいえ、とある年だけは完全に冷房無しで過ごしたのだが、別に我慢をしたいというわけではないので、35度を超えるような日になれば躊躇なく冷房をつける。

 

うちは川沿いで南東と北西に窓があるのだが、窓を開けると風がびゅーびゅー吹き抜けるため、この季節に我が家を吹き抜ける風が異常に気持ち良く、まるで南国リゾートのビーチサイドにいるような心地になる。

さらに、ここ数日は台風の影響で風の強さが増しているわけだが、この風を受けられるだけでも川沿いに住む価値はあるなと思うぐらいに心地良い。

 

心地良さを味わうために窓を全開にして寝るといいことずくめなのだが困ったこともある。

それは音の問題である。

路地だらけの月島ならともかく、このあたりはマンションだらけで、野良猫など生きられそうにない環境なのにどこかに野良猫がいるのかどうかわからないが、今は猫の発情期なため、深夜にメス猫が気味悪く鳴く声がやたらとうるさい。

少し前はカラスの繁殖期でカラスの声がうるさかったが、こちらはほぼ収まった。

また、築地市場のごく一部のトラックの運転手は気に食わない相手に対して真夜中であってもクラクションを全力で鳴らす。

あと3ヵ月で移転する築地市場には迷惑施設としての一面があるのだが、本当に迷惑なのは市場ではなく短気なトラックの運ちゃんの存在である。

 

すっかり高価格になってしまった湾岸地区のタワマンを推すわけではないが、東京の不動産を買う中国人は海の近くにあるという要素に結構な価値を置いているそうである。

よくよく考えてみると、海を間近にして住むことができる世界的な都市は意外と少ない。

世界で思いつくのは、ニューヨーク・ボストン・マイアミ・タンパ・ロサンゼルス・サンフランシスコ・シアトル・バンクーバー・ホノルル・シドニーメルボルンアデレード・パース・大連・青島・厦門・香港・マニラ・シンガポール・ムンバイ・カラチ・ドバイ・イスタンブールヴェネツィアナポリジェノヴァモナコ・ニース・マルセイユバルセロナアムステルダムコペンハーゲンストックホルムヘルシンキチュニス・アルジェ・カサブランカケープタウンハバナリオデジャネイロブエノスアイレスモンテビデオぐらいなものである。

アテネピレウス港まで若干距離があるし、上海や深圳やサンクトペテルブルクなども同様に若干の距離がある。

 

日本でも市街地が海辺まで延びていると言いきれる都市は、小樽・函館・青森・新潟・千葉・東京・横浜・堺・大阪・神戸・尾道・高松・下関・北九州・福岡・佐世保・長崎・別府・鹿児島・那覇ぐらいなものかと思うので、海沿いに住めるというのは結構貴重なことだと思う。

なお、これについても静岡・呉・大分・宮崎などは上と同様の基準で外した。

 

東京は数少ない海辺に浮かぶ巨大都市だ